戦乙女が舞い降りた地で、 外伝

架空戦記
戦乙女が舞い降りた地で、の外伝です。

外伝2 その瞳の先にあるものは


 場所は欧州の田舎町。ただ、かつて立ち並んでいたと思われる建物のほとんどは砲撃や爆撃によって破壊され、そのかつての姿の名残を残すのみであったが。
 その街を無数の鉄の塊が唸り声をあげながら進撃する。その全てに長い戦いを思わせる無数の傷があった。
「ヴェルグアインより、ヴェルグツヴァイへ。現在の道を直進し、敵の背後に回れ。ヴェルグドライは、現在の地点で援護射撃。側面の敵は任せろ」
 ノイズ混じりの通信機から指揮官にしてはやや若年の男性の声が聞こえてくる。
「ヴェルグツヴァイ、了解。敵のケツをひっぱたいてやりますよ」
 そう返答したのは、それまた若い将校。しかも、女性だった。長い金髪を背中でまとめ、少し大きめの軍帽を深く被り、喉から直接声を拾う咽頭マイクを掴んで喉に押しつけながら言った。
「女なんだから、もうちょっと言葉にはなぁ・・・・・・」
 そう言ってくる年上の操縦士の背中に怒号を叩きつける。
「クルト、おまえのケツから鉛玉をぶち込んでやろうか?」
 彼女は、護身用の拳銃の安全装置をはずしてみせる。
「冗談でも御免こうむりたいね」
 そんなの慣れっこだと言わんばかりに、クルトは全く動じる様子のないまま返答する。
 相手をからかいつつも、彼女は周囲に警戒を怠らなかった。安全装置を戻した拳銃をホルスターに戻すと、上半身を出している戦車の砲塔上から双眼鏡を片手に道の先、建物の陰に目を配る。
「もう少しで敵の後方に出る。敵を発見したらすぐに攻撃できるように準備しておけ」
 彼女が率いている戦車は、自分が搭乗しているものも含めて3両。その全てが同型で、やや大型の車体に長砲身の主砲を備えたベルメールW(四)号戦車H型だった。
「ヴェルグドライからの報告では、敵は85ミリのT-34だ。速度から考えて、敵との距離は800メートルほどだと思われる。アン、射撃準備はよいな?」
「えぇ、あとは敵が現れさえすれば砲弾を撃ち込めます」
 まだそばかすの残るおさげの装填手が答える。
「大変結構」
 すぐ先に見える二階部分の破壊された家屋、その角を曲がれば敵戦車が見えるはずだ。
「各車、敵に反撃する暇を与えるなよ」
 僚車に命令する間にも彼女の四号戦車は家屋の角を越えその先の敵戦車に指向すべく車体を旋回させる。
 徐々に見えてくる角の向こうに、目当ての敵戦車が背後を向けていた。
「各車停止」
「照準良し」
「フォイア!!」
「前進」
 彼女は、射撃の反動でわずかにのけぞる車体に揺られながら前方に目を向ける。
 どんぴしゃだった。砲弾は、敵戦車と見えない糸で繋がっているかのように飛翔し、射撃音に砲塔を回転させようとしたT-34の車体後部を捉えた。
 身震いするようにして砲弾を受け止めると、すぐにもくもくと煙を立ち昇ぼらせてその場に停車した。
 ちょうどその戦車の右隣に位置していた別のT-34が仲間の仇をとろうと進地旋回をかける。
「遅い!」
 彼女が言うのと同時に、小隊の2番車から徹鋼弾が放たれ、すぐ後に3番車からも同様に砲弾が放たれる。
 一発は、惜しくも道脇の半壊した建物に命中するが、もう一発が砲塔に命中する。
「やったか。いや、まだだ」
 砲弾は、砲塔の端を捉えた。しかし、角度が深すぎ、逆方向へと弾かれてしまったのである。
「装填急げ、敵の砲撃が来るぞ」
 彼女がそう言うより早く、T-34の85ミリ主砲がおまえの番だと言うようにこちらを向き、その砲身から砲弾が放たれた。
「路肩に寄れ!!」
「ヤヴォール!」
 操縦手は、増速しながら車体を道の左端方向に向ける。
 砲弾は、彼女のすぐ隣を風きり音を立てながら通り過ぎ、車体後ろの道の中央に激突する。
「良い操縦だ。褒めてやるぞ」
 何でもないかのように言うが、近くに着弾した砲弾の破片が周囲に飛び、彼女の頬を掠る。
 それだけで、彼女の頬には鋭く横に切り傷が生じ、流れ出た血液が軍服に飛び散る。
「下手くそ、撃つならもっと上手く狙え」
 傷の痛みに顔を僅かに歪めながら吐き捨てる。
「装填良し」
「停車、フォイア!」
 車体が停まった反動と射撃の反動が合わさって体を前後に揺らそうとする衝撃を手近な窪みを手で掴み、足を踏ん張って耐える。
「次来るときは、射撃の腕をもう少し磨くんだな。ふっ、次があればだがな。前進!!」
 砲弾が敵戦車をただの鉄の塊に変えるのを見ながら、仲間の戦車が敵を砲撃するのを視界の端に認め、再び前方の敵に意識を戻した。
 敵戦車の周りに付き従い、建物に身を隠しながら時折銃撃を浴びせてきていた歩兵は、瞬く間に撃破されてしまった味方の戦車を見て、信じられないと言った表情を浮かべ、すぐ後に飛んできたりゅう弾と機関銃弾によってその表情のまま冷たい地面へと倒れ伏す。
「ヴェルグアインから各小隊へ。残された敵は決して多くいない。慎重に敵を纖滅せよ」
「ヤヴォール」
 彼女は、通信に返答し、僚車に残った戦車に砲撃を集中させるように命令を下した。
「各車、中央のT-34を狙え。なに、遠慮はいらないぞ。たらふく食わせてやれ」
「ヤヴォール」
 各車の車長からすぐに返答があり、敵への砲撃によって命令を完遂した。
 支援砲撃を加える戦車を狙うか、彼女たちの戦車を狙うか、目標も定まらぬ間に四号戦車は容赦なく砲弾を浴びせかけ、敵戦車を大破炎上させたのである。
「これでこの近辺にいた機甲戦力は全滅したはずだ。各車、周囲の警戒をしつつ、残存の歩兵部隊へ攻撃を集中させよ」
 彼女の視線の先には、頼もしい相棒である戦車を失い、半ば戦意を失いつつも散発的に銃撃を浴びせてくる敵歩兵の姿が映っていた。
 戦場特有の高揚感からだろう、時折、近くを銃弾が飛び交うのも構わず、前方の敵を見て美味しい食べ物を前にしているかのように唇を舌で舐め、味方戦車がりゅう弾を装填し終わるのを待った。
「装填良し!」
「戦車だけ葬って、歩兵だけそのままなんて可哀想だからな。くれぐれも外すなよ。フォイア」
 敵歩兵の何人かは、彼女の戦車の主砲から閃光が見えた瞬間、近場の物陰に身を隠したが、りゅう弾の前にあってはそれは大した違いを生まなかった。
 りゅう弾は、身を隠そうとしていた敵のど真ん中に着弾し、近くにいた歩兵を無差別に殺傷した。
 鋭い破片によって腕や足を引き裂かれる者、爆風で吹っ飛ばされて身を隠そうとしたものに体を強く打ちつける者、文字通り、四散して周囲にその破片を飛び散らせる者。至近距離で炸裂した砲弾により無傷でいられた者など一人もいなかった。
 しかも、その一弾をなんとか耐えきった者も次から次に降り注ぐ砲弾にはとても耐えられなかったのである。
 今まで戦車を相手にしていた支援砲撃をする戦車も歩兵に対する攻撃に切り替えており、生きている者を探す方が難しかった。
 建物の中で砲撃を生き延びた歩兵も、一度彼女たちの目に留まれば容赦なく銃弾と砲弾の雨を浴び、ただただ地面に倒れ伏すしか選択肢はなかった。
「ヴェルグアインから各小隊へ。あらかたの敵は排除した。現在は、歩兵が周囲の建造物を制圧すべく攻撃を敢行している。戦車隊は、それを支援しながら集合地点へ向かえ」
「ヴェルグツヴァイ、了解」
 もう周囲には、敵の姿はほとんど見えなかったが、こういう時ほど注意が必要なのだ。
 勝ったと思って安心しきったところに不意打ちを食らうことはよくある。それで、やられてしまうなんてことは絶対に避けたかった。
「さぁて、赤い子猫ちゃん。怖がらないで出ておいで」
 車内には、降車して戦闘するときのために自動小銃が積まれていたが、彼女はあえてそれは使わず、愛用の拳銃に手をかけ、周囲に目を光らせた。
「出ておいでって言って出てくる奴はいないと思うがな」
 突き出される足を後ろ手に受け止めながらクルトは言った。
「それが、いないとも限らないのよ。ほらねっ」
 彼女の乗る戦車がある民家の前にさしかかったとき、その割れたガラス窓の向こうから小銃を構えた敵歩兵が言葉になっていない叫び声をあげながら飛びかかってきたのである。
 敵歩兵は、手に持つ小銃で戦車から身を乗り出している彼女に向かって乱射してくるが、比較的近距離にも関わらず、その銃弾のどれもが明後日の方向を飛んでいく。
「あらあら、銃って言うのはこうやって撃つのよ?」
 そう言うと、安全装置を外した拳銃の照準を敵歩兵の眉間に合わせ、この場に似合わないゆっくりとした動作で引き金を引き絞った。
 彼女の一発の銃声が響いた次の瞬間には、うるさかった小銃の乱射する音も消え、同時に敵歩兵の命の炎も消えたのであった。
 敵は、一瞬、体を硬直させるようにピンと背筋を伸ばし、後頭部から飛び散る脳髄と赤軍という名にふさわしい鮮やかな赤い血液を吹き出しながら、いままさに飛び出してきた窓の向こうへと倒れていった。
「ふぅ。ねっ、言ったとおりでしょう?」
 長く戦場を共にしているクルトは、これと言った驚きを示さなかったが、配属されたばかりのアンは今の状況を一拍遅れて理解し、彼女から軽く一歩、といっても車内は狭いので僅かにではあるが後ずさりしたかっこうになった。
「ごめんなさい。アンには、刺激が強すぎたわね」
「いぇ、そのようなことは・・・・・・」
 そうは言いつつ、顔面をひきつらせているのでは全く説得力がなかった。
「さぁてとっと。そろそろね」
 彼女の視線の先には、今戦っていた街道とは違って少し開けた場所に所属する部隊の戦車が集合し、周辺の敵の掃討を一段落させた歩兵が集まりだしていた。
 彼女は、戦車を集合地点に停車させると勝手にすぐ後ろを
ついて来るクルトや、二、三歩後ろをついてくるアンを視界の端で確認しながら、今まさに制圧されたばかりの街道に繰り出した。
 周囲には、まだ歩兵がそれぞれの建物の中で動く様子が見え、その中を何かを探すようにして左右を頻繁に見ながら歩いた。
 すると、目当てのものかどうかはわからないが、彼女の足が突然止まった。
「あらあら、比喩じゃなくて本当に可愛い子猫ちゃんがいたわ」
 彼女が視線を向けた方向には、両足を震わせながら、照準の定まらない拳銃を向ける少女の姿があったのである。
「え、あー、その、あなた、ここに住んでいるの?」
「ち、近づかないで。近づくと撃つんだからね!!」
 母国語ではないので、少女から見ると強い癖のあるチャナヴェート語で話す彼女の言葉を遮って、少女は言った。
「ねぇ、あなた、名前はなんて言うの?」
「そ、そんなのどうだって良いでしょう! ファシストなんかに名乗る名前はないわ。名前を聞いてどうするって言うの? この侵略者、人でなし、人殺し!!」
「まぁまぁ、そうかっかしないで、銃を下ろしたらどうかしら?」
 彼女は、自動小銃を向ける味方歩兵を片手で制し、言葉を続けた。
「そんなに撃ちたいのなら、撃てば良いじゃない。ほら、ここを狙って?」
 思わず目を見開くアンを後目に、彼女は少女の両手を優しく持つと、その銃口をあろうことか自分の体の心臓がある位置にそっと押し当てさせた。
「これで外さないわ」
 アンも彼女の行動に驚いたが、一番驚いたのは銃を向ける少女であった。
「な・・・・・・」
 何故でこんなことをするの?と続けようとして、最初の一文字目で言葉を失って呆然とする少女を見ながら、彼女は続けた。
「そうね、あなたになら撃たれても良いかなって、そう思ったの」
 この人はなにを考えているのだろう。少女は、銃を向けていることも忘れて目の前に迫った彼女の瞳を見つめ、真意を探ろうとした。
「・・・・・・銃は下ろします。その代わりに教えてください。あなたは何故って、え?」
 彼女が銃に添えた手を離したので、銃を下ろし、先ほどは言えなかったことを聞こうとした次の瞬間、少女は素っ頓狂な声を上げた。
 彼女が、少女を抱きしめたのである。
「よしよし、ずっと大変な思いをしてきたのね」
 彼女は少女の頭をなでる。
「私は、カテリーナ・アリーソヴァ。生まれは違いますが、ここに住んでいます。それで、ちょっと離れてもらえませんか? 恥ずかしいです」
 顔を真っ赤にしたカテリーナが上目遣いに言うと、彼女はもう一度頭をなで、一歩後ろに下がった。
「いい名前。あなた、カテリーナと言うのね。私は、ヴェロニカ、ヴェロニカ・フォン・グライム。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
 何をよろしくなのか良く分からなかったが、差し出された手を見て、カテリーナはその手を握った。
 それが、カテリーナが初めて好意を持ったセレバンテス人、ヴェロニカとの出会いであった。

☆


「こんな可愛い子がいたら当然よね。ね、クルト」
 落ち着きを取り戻したヴェロニカを休憩用のテントに案内したヴェロニカは、焚いた火で持参した紅茶を入れ、クルトにカップを手渡しながら言った。
「ねっ、じゃないですよ。こっちは、涼しい顔してたが、熱くてかく汗とは違う種類の汗が額に湧き出て内心気が気でなかった」
 クルトは、紅茶の良い香りに鼻を鳴らして言う。
「そうですよ。もう少し自分のことを考えてください」
 カテリーナを睨むように一瞥(べつ)し、アンが言った。
「私なんかぜんぜん可愛くないですし、えーと、アンさんで良いんでしたっけ? アンさんの方がすっごく可愛いですよ」
 アンは、チャナヴェート語はわからないが、カテリーナの必死のジェスチャーとヴェロニカの通訳によってそれを理解した。
「お世辞なんて必要ないですよ? どうせ、私は可愛くない砲手ですから」
「そう落ち込むな。俺がおまえの可愛さを保証してやる」
「クルトは、女性なら誰でもいいんでしょ? あ、これは失礼しました、男でも可愛いければ良いんですよね?」
「俺はだなぁ。おまえの気持ちを思ってだなぁ」
「はいはい」
 拳を振り上げたクルトを横目で見て、ヴェロニカの方に向き直る。
「ヴェロニカさんは、あの戦車でどのくらい戦っているんですか?」
 アンが気になるのか、彼女の方をちらっと見てからヴェロニカを見つめ、言う。
「戦車に乗って戦っている期間は、かれこれ3年近くになるが、カテリーナが見た戦車はつい数ヶ月前に受領したばかりのものよ」
「良く政府の機関紙とか映像では・・・・・・全部を信用していたわけではないですけれど、セレバンテスの戦車ってそんなに強そうに思えなかったです」
 カテリーナは、戦車などと言う戦争の兵器自体に特別な興味があったというわけではなかったが、写真や映像の中に見る戦車という巨大の機械の力強さに魅了されていたことは間違いなかった。
 しかし、それ以上に、ヴェロニカの乗っているセレバンテスの戦車、そしてヴェロニカ自体にとても大きな興味を持ったのであった。
「俺は、あの戦車が出るもっと前から戦車兵をしているが、1号や2号戦車、いまでも使用されている初期の戦車はもっとすごかったぞ」
「彼は、クルトは、リッシュメル共和国との戦いでも戦車に乗っていたそうよ」
 ヴェロニカが二人の会話を通訳する。
「戦術でなんとか敵を撃退していたが、君が知っている通り、無敵の戦車ってことはなかった。まぁ、それは、短砲身の四号だった頃を知っているヴェロニカも分かるだろう?」
 まぁ、無敵の戦車なぞないがな。と言い、ヴェロニカにバトンタッチした。
「モスコミュート攻防戦、カテリーナにとっては屈辱的な出来事だったかもしれないが、首都攻防戦では、今日も戦ったT-34に苦戦を強いられたわ」
 T-34?とクエッションマークを浮かべるカテリーナに気づいて、クルトがT-34の形を手で表し、今日すぐそばで撃破されたばかりのT-34が放置されている方向を親指で指さす。
「T-34が初めて出現したのは、首都攻略戦がもう少しで成功する。そんな時だった」
 ヴェロニカは、しばらくの間、遠く、ここではないどこかを見つめるような目をして、そのときの様子を思い出していた。
「ちょうど季節が秋から冬に変わり、路面の状態が好転してきたと思ったとき、あれは現れた」
 ヴェロニカは、座っていた椅子から立ち上がり、壇上で演説するように語り始めた。

☆


 戦略的な勝利と、綱渡りのように幸運が積み重なってやっとのことで首都の包囲の輪が閉じる。
 これで戦いにも束の間の平穏が訪れる。誰もがそう思ったとき、それは現れた。
 流れるような傾斜した装甲を持ち、76ミリ戦車砲を備えたT-34、彼らから見れば祖国を救う偉大なる兵器、我々から見れば鋼鉄の死に神。
 既に、少数のT-34とは交戦が記録されていたが、そのときは違った。何個装甲師団にも及ぶT-34の群が、疲弊した我々の部隊に襲いかかったのである。
 しかも、さらに運の悪いことに、T-34の傾斜した装甲には、当時主力であった3号、4号戦車の主砲でも撃破が大変難しく、1号や2号に至っては尻尾を巻いて逃げ去るしかなかった。
 我々は、使用しうる全ての火器を駆使し、T-34の撃退に努力した。対戦車砲はもちろん、対空砲の転用、それができない部隊は多大な犠牲と引き替えの肉薄攻撃によって撃破した。
 だが、本国から遠く離れて戦う我々と地の利がある敵とではいかんともしがたい差があったのだ。
 延びに延びた補給線によって、十分な武器弾薬どころか、寒さをしのぐ冬季装備の調達にも事欠く状態だった。
 それをあざ笑うかのように、敵は新型戦車を前に何度も突撃を敢行してきた。また、首都内に取り残された敵部隊も一縷(いちる)の望みをかけて攻撃を敢行してくる。
 全体的な戦力では、決して劣ってはいなかったが、度重なる敵の攻撃に被害は大きくなるばかりだった。
 激戦の末、なんとか首都の攻略には成功したけれど、石を投げれば当たるんじゃないかと思うくらい、そこかしこに敵味方の装甲車両、兵士の死体が散乱していたよ。
 私の所属していた部隊も装甲戦力を損耗し、私自身の乗っていた戦車も敵の攻撃を受けてね。脱出を命令することもできずにクルトに押されるまま外に脱出したよ。
 その残骸と化した戦車に、敵はなおも砲撃をしてきて・・・・・・後は分かるわね。
 東部戦線に駆り出されてからこっち、楽な戦いなんてなかったし、補給だって不足気味だけど、あの戦いは忘れられないわね。私も心が折れそうになった。

☆

 ほとんど息もつかずに、一気に語ったヴェロニカは、大きく深呼吸してもう終わりよと合図するように椅子に深く腰を下ろした。
「私の見た映像では、そんな状況になっているなんて全然想像がつきませんでした」
 真剣な顔をしたアンが言う。
「宣伝映像なんてそんなものよ。でも、映像の中の部隊まで負けていたら、それこそ戦意を失いそうだから、仕方ないと言えば仕方ないわ。勝っているか負けている夢かどちらが良いかと言われたら、嘘でも勝っていると思いたいのよ」
「俺にとってみれば、あんな映像腹が立つだけだが、若い子にとってそれが心の支えになると言うなら良いんじゃないか」
 熱く語るヴェロニカを見て、ただただ頷くしかできなかったカテリーナがやっと口を開いた。
「そんなすごい経験をしていたのですか・・・・・・」
 首都攻防戦のさらに一年、最近配属されたばかりのアンにとってもヴェロニカが話す話は衝撃的だった。
「これから、どちらに向かわれるんですか? ここにはどのくらいいるんですか?」
 基本的質問であり、それでいてカテリーナにとってはかなり重要な質問をヴェロニカにした。
「これからのことは、詳しくは言えない。軍事機密だから。いくらカテリーナが相手でもこれからの部隊の動きが分かるようなことは教えられない。別にカテリーナを信用しないわけではないんだ。だから、納得してくれないかな?」
 言われてみれば、スパイとまではいかないがチャナヴェート政府を余りよく思っていない人々がチャナヴェートも味方の移動先などを漏らして政治収容所行きになったのを見たことがあるので、確かに言われた通りであった。
「一つだけ言えるとすれば、我々セレバンテス帝国陸軍は、二度とモスコミュートに足を踏み入れることはないと言うことね。西へ西へと後退あるのみ。ここにも長居はできないわ」
「そうなんですか・・・・・・」
 いつこの町を去るかは分からないものの、そう長くは居ないことは分かり、カテリーナの表情が曇る。それを見かねてか、テントの中にいる者の中では一番年長のクルトが口を開いた。
「そう悲しい顔をするな。長居はしないのは確かだが、今日一日くらいは留まるさ。まぁ、敵が現れなければだがな」
「敵が現れたら?」
「我々は、被害を極力抑えたい。だから、今度敵が現れたら後退する。今までは、進撃する番だったが、今はチャナヴェートの方が進撃する番だ。ただ、進撃すればするほど、補給線は延び、逆に我々の補給線は縮む。ここは、最前線から比べればやや後方だが、荒い網の目状に戦線を張っている状況ではいつ敵が戦線後方に浸透してきてもおかしくない。今日のようにね」
「おじちゃん、そんなに話して大丈夫なの?」
 機密は話せないという雰囲気を醸し出しながら、憲兵が居たらにらまれるだけでは済まなそうなことを話すクルトにカテリーナが忠告する。
「カテリーナちゃんは、そんなに悪そうな子には見えないし、ここには憲兵も居ない。大丈夫さ」
 単語を拾って言っていることを理解したクルトは、おじちゃんと言われるほど年をとっていないのにと思いつつ、そこはぐっとこらえて返答した。
「誰の前でそんな口を利くのかしら? なんなら、憲兵の代わりに私が」
 ヴェロニカは、拳銃をホルスターから抜くと、クルトの顎に突きつける。
「優秀な操縦手にそんなことして良いのかい?」
 いつになく強気なクルトが顎をあげながら視界の下半分にヴェロニカを捉え、言った。
「いっそ、やっちゃった方が、静かになって士気があるんじゃないかしら? ねぇ、カテリーナちゃん」
 二人を見つめていたアンがカテリーナの方を向いて微笑んで言った。
「あわわ、ヴェロニカさん。そんな物騒なことは止めてください。クルトさんも落ち着いて」
 アンの台詞など聞いている余裕はないと言った様子で、右に左に首を振りながら言う。
「ここで折れたら上官の面目が立たないのよ」
「俺だって、男のプライドというものがあるんだ」
 視線の交わるところに手をかざしたら火傷をするのではないかというくらい睨みを利かせる二人に、とっさに隣にいるアンに助けを求める。
「あ、アンさん。二人を止めてください」
「いいんじゃない。好きにやらせておけば」
 頼みの綱であるアンにもそんなことを言われ、どうしようもなくなったカテリーナは顔を見られないようにうつむくと、せきをきったように大粒の涙を浮かべて泣き出した。
 これには、ヴェロニカもクルトも睨みを利かせている場合ではなかった。
「お、おう、泣かんでくれ。いや、ほら、喧嘩するほど仲が良いと言ってだな」
「そ、そうよ。いつも仲が良すぎるくらいによいから、たまに喧嘩しちゃうのよ。それに、ほら、安全装置だってちゃんと付いたままだわ」
「そういう問題じゃないと思いますけど」
とアンがぼそっと呟く。
「とにもかくにも、泣き止んでくれないとお姉さんもつられて泣いてしまうわ」
「ヴェロニカさんがそう言うなら」
 そう言うカテリーナが涙を手で拭い、一瞬、唇の端が上がったことをアンは見逃さなかった。
「まだまだ幼いのに、なんて怖い子」
「何か言いましたか、アンさん♪」
「カテリーナちゃん、よい子だから、小さいうちからそんな感じだと困るわよー?」
「そうだ、カテリーナ。大きくなったカテリーナがアンみたいになったら、悲しくて泣いてしまうよ」
 そう言って、ヴェロニカはうつむいて両目を握った手で隠し、泣いているフリをした。
「いくら本当のことだからって、そこまで直接的に言われると本当に泣きそうなんですけれど」
 アンもヴェロニカに倣って泣くポーズをするが、上目遣いでカテリーナを睨むことは忘れない。
 カテリーナもそれに気づき、ニコッと笑みを返す。
「ヴェロニカさんが言うのなら、私、気を付けます」
 カテリーナのヴェロニカに対するそれは、純粋な好意からよるものであるが、アンはそれ以上の何かがグツグツと怪しい色の液体が混ざりあって煮えているような好意である。と、クルトは冷静に分析している、つもりで二人を見つめた。
「おっと、カテリーナ、そろそろ時間のようだ。私たちは、これから仕事がある。カテリーナは、ゆっくりお休み」
 楽しい時間はあっと言う間に過ぎるようで、テントの外は燦々と輝いていた太陽に代わって淡い光に照らし出される月とその周囲に寄り添うように集まる幾千もの星が空を支配する時間であった。
 ヴェロニカたちの小隊は、夕方から夜にかけて警戒についていた部隊に代わって任務を行わなければならなかったのである。
 カテリーナは、もっと話していたかったが、任務とあっては仕方がない。
 しかし、一つ良いことを思いついた。すぐさま、彼女はヴェロニカの耳元で何か呟いた。ヴェロニカは、アンに見えないようにウィンクして応えると何事もなかったようにアンに背を向け戦車に向かって歩いていった。

 その夜、幸いなことに敵は一度も現れなかった。聞こえるのは小さい昆虫たちの鳴き声と時折吹く風によって何かが転がったりして鳴る音だけ。戦闘中に比べれば、驚くほど静かな夜である。
 味方も夜は眠いのだから、敵も寝ているはずだと、どこかの国の兵士は言ったと彼女は人づてに聞いたことがあったが、実際そんなことが通用するはずがない。
 夜の闇の向こうから突然砲火が煌めくことや、暑苦しい男たちの不気味な叫び声に紛れて銃火が見えることは良くあった。
 また、なにも音の聞こえない夜の静寂の中で進撃していると、廃墟の瓦礫の隙間から、道の両脇に立ち並ぶ民家の窓から、時には草むらの陰から一目では性別がわからないほどの屈強な女性狙撃手が上半身をさらけ出す彼女に向かって必殺の銃撃を浴びせてくることもあった。
 中でも、狙撃手は、一番怖い存在であった。大規模な部隊が展開する敵地の中にあって、ひっそりと息を潜め、その照準に目当ての標的が入り込むまで物音一つ立てず、その狙撃銃の引き金にかかる指だけを静かに引いて鉛玉をプレゼントしてくるのである。
「戦場に出るまで、静寂がこんなにも怖いものだなんて知りませんでした」
 配属されたばかりだった頃、夜間に敵の攻撃を受けてアンはそう言った。
 アンの言葉を受けて、ヴェロニカはこう言った。
「なら、アンだってお返しにタングステンの高速徹甲弾をお見舞いしてあげればいい。奴らにとってはそんなに貴重なものではないかもしれないが、我々にとってはダイアモンドよりも貴重で高価な最高のプレゼントさ」
 そんなことを思い出しつつ、ヴェロニカは交代する部隊と合図を交わしクルトに後方に下がるように命じた。
 ヴェロニカは、テントに向かう途中、用事があるといって、一人別れて違う道に入ろうとした。
 クルトは、ヴェロニカのしようとすることを察して、なにも声をかけずにテントへと向かって歩く。
 アンは、早足でヴェロニカに近づくと、
「お見通しですヴェロニカ少尉」
と言った。
「私は、アンのことが大好きだ。これで良いか?」
 そうヴェロニカが言うと、アンは顔を真っ赤にしてバカッと呟いてそっぽを向いて歩いていってしまった。
「アンもまだまだだなぁ」
 一部始終を見ていたクルトは、一人呟いた。


☆


「ねぇ、ヴェロニカさん」
 廃墟と化した街の中にあって、家主を失っても屋根も壁も窓も比較的きれいに残っていた家にカテリーナはヴェロニカを呼び、二人きりになったことを確認すると、口を開いた。
「なんだ、カテリーナ」
「ヴェロニカさんのこと、お姉様って呼んでも良いかな?」
 つんつんと両手の人差し指を付けたり離している手元と、ヴェロニカとを交互に見ながら恥ずかしそうに言った。
「あぁ、お姉様でも、お嬢でも、女王陛下でも好きに呼べばいい」
 ヴェロニカは、そう言って寄り添うカテリーナの頭を優しく撫でてやった。ヴェロニカは度重なる激戦で髪の手入れなど満足に出来ていないが、カテリーナはどこか川で毎日髪を洗っているのだろうか、多少痛んではいるもののそれでもサラサラと言っていい綺麗な髪だった。
 髪を撫でると、かわいい喘ぎ声をあげるものだから、ついつい、髪を撫でてしまうのだった。
 鮮やかな青々とした草木のような緑の髪に指を絡めて髪を撫でると、フェチでも何でもなくてもずっとそうしていたくなる。
「女王陛下というよりは、絵で見た中世の騎士を思い出します」
 ヴェロニカの方に頭を乗せ、上目遣いで彼女を見ながらカテリーナは言った。
「中世の騎士というのも、あながち間違っていないかもしれないな。私の先祖には、王様に仕える騎士が本当にいたそうだ。まぁ、今はその影も形もないような質素な一家族だけれど」
 一筋のひびの入った窓の向こうにある月を眺めながら言った。
 しかし、最後の言葉の時には、戦闘中のハイな彼女とは似ても似つかない寂しい表情を浮かべていた。
「ヴェロニカさんは、お姉様は、何故戦車兵になったんですか?」
「はて、何でだったかな。もう忘れてしまったよ。でも、一つだけ言えることは、宣伝映画の中に映る戦車兵たちが鋼鉄の馬に跨る騎士のように見えた。そして、表面の笑顔や熱い表情の下に何か冷たい何かを感じて、それが自分の中にある何かとちょうど重なったのよ」
「そうなのですか」
 今のヴェロニカの様子を映画の撮影班が見ていたら、迷わずカメラを回したのにとカテリーナは思った。
「実際、戦車兵なんて何故なったんだろうと今でも思うわ。男も女も関係ないような戦場で泥に汚れ、油にまみれ、綺麗に体を洗うことも滅多に出来ない。後方の工場ででも働いていれば、それなりに良い住まいでたまに浴槽につかることも出来たのだろうにね。今だって、シャンプーと石鹸で綺麗に髪と体を洗い流したいと思っているわ。それも、こんな可愛い女の子の前じゃ尚更」
「可愛いだなんて・・・・・・」
 顔を赤らめてうつむくカテリーナをそっと抱きしめるヴェロニカ。カテリーナは、まさに縮こまった子猫のようにヴェロニカに体を寄せて、身を任せた。
「お姉様」
「なんだい?」
 カテリーナの顔を上から覗き込んで言う。
「ここを離れてしまったら、またどこかで会えますか?」
 カテリーナは、体を離すと、一歩後ろに下がってまっすぐヴェロニカを見据えた。
 その真剣な表情を見て、ヴェロニカも表情を引き締めると言った。
「それは分からない。カテリーナだってここにずっと住んでいるかどうか分からないし、私だってどこに行けば会えるとは言えない。それに、今、国として敵同士の私たちがまた会うには越えなければならない色々な障害があると思う。そうね、戦場であったのも何かの縁なら。次に会うのも戦場かもしれないわ。まぁ、それまで互いが生きていればだけれど」
「私は、またお姉様と会えるまで、何をしてでも生きていようと思います。それが何年後、何十年後になるかは分かりませんが、私はそのときを待ちます。だから、お姉様もそれまで絶対生きていてください!!」
 カテリーナが余りにも真っ直ぐに、真剣に意志を伝えてくることに軽く気圧されて言葉を失っていたが、ここで黙っていてはと思い直して口を開く。
「そこまで言うのなら、約束するわ。そうね、約束の印にこれをあげる」
 そう言うと、ヴェロニカは、首から下げていたネックレスを一つはずしてカテリーナの首に付けてあげる。
「これは・・・・・・?」
「あぁ、これは、後退してくる途中で露天商から買ったものよ。その人が言うには、そのネックレスを身につけていれば、運命の人と出会える、そう言っていたわ」
「え、でも、そんな大事なもの頂いて良いのですか?」
「私にはこれだけで十分よ」
 ヴェロニカは、首から下げた識別票をカテリーナの前にかざし、それに口づけをすると、シャツの中に戻す。
「それは?」
 どこかで見た記憶はあるが、それが何であるか、なかなか思い出せないでいるとヴェロニカがそっと言った。
「あ、これか。これは、識別票と言って、ほら、金属板に色々書いてあるだろう? これは、戦場で戦死したときにどこの誰なのかを示すものなんだ。いちいち、身元を確認している暇なんてないからね。戦場では、綺麗な状態で発見されることなどほとんどない。足や手がないなんてのは良くあることで、”人”であることが分かれば良い方さ」
 冗談めかして軽く笑みを浮かべながら話すヴェロニカではあったが、その識別票を握る手は小刻みに震えていた。
「大丈夫です。何も根拠はありませんけれど、次に出会うまでヴェロニカさんは絶対に死にません。そう信じています」
 震える手を優しく握りしめるカテリーナに感極まって、普段は見せない涙を浮かべると、カテリーナの頭と自分の頭をくっつけた。
「ありがとう、カテリーナ。二人だけだから本音を言うと数多くの戦いを潜り抜けてきてもう麻痺したと思っていたけれど、やっぱり死ぬのは怖い。だからといって、仲間には言えない。このことは、内緒にしておいてね」
 弱い自分を見せまいと強がっていたことが逆に恐怖を増幅させていて、今の彼女は年相応の言ってみれば可愛い少女そのままであった。
 涙声で話すヴェロニカの頭を逆に撫でる立場になったカテリーナはまるで姉のようであり、母のようであり、ヴェロニカの話を正面から受け入れられるということはつまり、彼女も同様の経験をしてきたということであった。
「これじゃ、どちらがどちらを元気付けていたのか分からなくなってしまったね」
「そんなことないですよ。怖いことを怖いと言えるというのは幸せなことだと思います。私も、お姉様に大丈夫だと言ってもらえて嬉しいです」
 ほっぺたの肉がぶるぶる揺れるくらい首を左右に大きく揺すってからカテリーナはそう言った。
 ヴェロニカは、手で涙を拭うとその存在感のある胸を力一杯張り、大船に乗った気でいたまえとどや顔で言った。
 しかし、まだ彼女の頬には幾筋もの涙の痕跡が残っており、涙腺に涙を残したままではどれ程の説得力があろうかと彼女自身も疑問に思ったが、それでも目の前のカテリーナに向かって力の限り、自信のある様を見せつけた。
 それを見たカテリーナは、下を向き、急に黙ってしまった。ヴェロニカが心配そうに彼女の顔を覗き込むと、遠くから近づいてくる車の音のように最初は小さく、そして徐々に大きな笑い声が口を塞ごうとして押し当てられた両手の間から漏れ出てきた。
「・・・・・・くっ、くくくく。ふふふふっ、あはははははは」
 しまいには、口を塞ぐこともやめて、今度は腹を抱えてその場で笑い転げた。
「大船に乗った気になりたいのは、おまえの方じゃないのか」
 そうクルトの声まねをするカテリーナを軽くグーで小突くヴェロニカ。
「いったーい!!」
「あまりにも似ていたから、思わず殴ってしまった。だが、反省はしていない」
 今度は、ヴェロニカの方が大笑いする番だった。カテリーナは、顔を真っ赤にして抗議をするのだが、彼女がまくし立てるとさらに大きな声で笑い声を立てるヴェロニカであった。
「おい、そこのお前たち。敵に気づかれたらどうする。もっと静かにせい」
 笑い声に気づいて窓の外から声をかけてきた憲兵は、自分が注意した相手が二人の美少女だと知り、耳を赤くしながらきびすを返すと、一言、程々になと言って去っていった。
「これは失礼」
 ヴェロニカは、カテリーナの方を向いて、口にチャックをするジェスチャーをしてその言葉の意味を伝えた。
「お姉様、話すのは楽しいけれど、寝なくて良いの?」
「あ、そうだな。睡眠は、とても大事な要素だ。カテリーナ、こっちへ来い。一緒に寝よう」
 ヴェロニカは、仰向けになって左腕を体の真横に突き出してカテリーナを誘った。
「ねぇ、お姉様には、付き合っている人とかはいるの?」
 顔だけ横に向けたカテリーナが言う。
 ヴェロニカは、天井を見上げ、少し考えると、再びカテリーナの方に顔を向けて言った。
「今のところは、いないわ。私のことを好きな熱狂的な女性は約一名いるけどね・・・・・・って、もう寝ちゃったか。良い寝顔だ。さて、私もそろそろ寝なくては」
 すぐとなりで眠るカテリーナの寝顔を見ながら、ヴェロニカの重くなった瞼はゆっくりとゆっくりと降りていった。

☆

 その夜、ヴェロニカが静かな寝息を立てて眠る横でカテリーナは顔に被さってきた物をどけようとして目を覚ましてしまった。
 眠気眼でそれを手にとって月明かりにかざしてみると、まさしくそれはヴェロニカが着ていた軍服のネクタイであった。
 恐る恐る隣を見ると、ヴェロニカが何か寝言を呟きながら暑苦しそうにシャツのボタンに手をかけている。
「うーぁ、うるさい!! 暑いのにこんなの着てられないわ。執事だか何だか知らないけど、寝るときの格好まで指図される覚えはない」
 そうやってシャツのボタンを外していくヴェロニカを止めようと手を掴むのだが、ヴェロニカはその手を振り解こうと腕を大きく振り、カテリーナの精一杯の制止を振り切って服を脱いでいく。
 カテリーナも途中から次々と露わになっていくヴェロニカの均整の取れた体に見入ってしまい、ただぼーっとその事態を眺める。
 しまいには、彼女は一糸纏わぬ姿になってしまった。
 そして、やっと静かになったと思ったその瞬間、ヴェロニカの瞳がさっと開き、こちらをじっと見つめた。
「あ、あの、ヴェロニカさん。服を」
 言葉を続けようとしたカテリーナをヴェロニカは何故か抱きしめ、顔をそのふくよかな胸に押し当てる。
「うーん、クリスちゃん。一緒に寝ましょうねぇ」
 どうやら自分を人形か何かと間違っているようだ。そう思いつつ為すがままの状態でヴェロニカに何度も抱きしめられる。
 カテリーナは、そのとても繊細で暖かいものに包み込まれながら再び眠りについた。

☆
 翌朝、ヴェロニカは、連続で切られるシャッター音で目を覚ました。
「・・・どこのどいつだ。人の寝姿を勝手に撮る奴は」
 寝ている振りをしながら相手との間合いを計っていたヴェロニカは、相手が直ぐ近くに来たことを確認して、シャッター音の鳴り響いた方、正確には相手の腕があると考えられる空間に目を瞑ったまま手を勢い良く突き出し、それを捕まえた。
「あっ、きゃあっ」
 受け身を取ることも出来ずにしりもちをついた相手が上げた声は、予想はしたが当たって欲しくなかった相手であり、一番写真を撮られてはいけない相手でもあった。
「痛いですー。ヴェロニカ少尉」
 ひりひり痛む尻を捕まえられていない方の手でさすりながらアンは言った。
「自業自得だ」
「じゃあ、手を離してくださいよ」
 そう言われても、絶対に手を離すつもりはなかった。
「嫌だね。そうして欲しいなら、このカメラを渡しなさい」
「うふふ。ヴェロニカ少尉♪ その前にやることがあるんじゃないですか?」
 その前にやること? 何のことだ。きっと、私を騙そうとしているのに違いない。そう信じて疑わなかったが、穏やかな天気であるのにやけに寒いなと疑問に思った。
「だから、何だというの。はっきり言いなさい」
「世の中、知らない方がよいこともあるんですよ?」
 意味深に言ってくるアンの次の言葉を待っていると、思いも寄らない方からその答えが聞こえてきた。
「お、お姉様。そ、その、いくらなんでも寒いですよ。早く着た方が」
「何が来るんだ? う、うん? きた、来た・・・着た・・・・・・つっ」
 思わずアンの腕をつかむ手を離すと、彼女は満面の笑みで静かに頷き、もう一度シャッターを切った。
 その瞬間、体内の血液がすべて沸騰して蒸発してしまうのではないかというほど体が熱くなり、それに比例して、その全身(顔や手足ではなく、全身)がほんのり赤く色づいた。
 リラックスしすぎると脱いでしまう癖があったのだ。戦場にでてからはそれもなかったが、予想以上にリラックスできた昨夜、寝ている間に無意識に脱いでしまったようだ。
「なっ、そ、それをはやく言いなさいよ!!」
 南洋にいるというサムライという人種なら。あまりに素早い身のこなしに感動して降参してしまうのではないかとアンは思い、またシャッターを切った。
「バカ、やめなさい。やめないと撃つわよ」
 なんとか下着を身につけ、その上にシャツを被ったヴェロニカが赤く染まった顔で言う。
「残念、銃はここにあります」
 アンの手には、これみよがしに揺られたヴェロニカ愛用の拳銃の姿があった。
「覚えてなさい。あとで教育してやる!!」
「あぁ、なんてありがたいお言葉」
「だめだこいつ。早く衛生兵を呼んだ方がよい。いや、もう手遅れか」
 ヴェロニカが軍服の上下を着終わったのを見計らって現れたクルトが呟いた。
「この際、クルトでも良いわ。あのカメラを私に渡して!!」
「この際ってひどいなぁ。あらよっと」
 妄想に花を咲かせているアンの手からカメラを奪い取ると、ヴェロニカの目と鼻の先まで持っていく。
「俺だって男だ。こんなチャンス無駄にするわけにはいかないなぁ」
「お前だけはと信じていたのに。こうなったら、私の負けだ。もう、好きに見たら良い。その代わり、他の隊の奴に見せたら、殺す」
 その声だけでも人が殺せるのではないかという殺気立った恐ろしい声に二人の顔は笑みと恐怖の混ざりあった表情になった。
「一生の不覚だ。カテリーナ、君まで写真が欲しいなんて言わないよな」
 最後の希望を込めて、カテリーナに声をかけたヴェロニカは、しかし、その笑顔のカテリーナのはなった言葉によって完全に希望を打ち砕かれてしまったのであった。
「私は、写真なんていらないですよ。実は、夜中のことも偶然見ていましたから」
「な、ん、だ、と」
「衛生兵!! 衛生兵!! ここに重傷者がいるわ」
 アンが笑いながら近くを歩いていた衛生兵に声をかけた。
 衛生兵は、何事かと訝しんでいたが、彼女たちの様子を見、そこで何が起こったのか雰囲気を感じ取り、苦笑いを浮かべながらヴェロニカに近づいた。
「どこか痛みますか?」
「うるさい、気安く触るな」
「これはこれは、大分大きな傷のようですねぇ」
「人の話を聞け!」
 軽くジョギングをした後みたいに、大きく息を吐き、額に汗と青筋を浮かべたヴェロニカが言った。
「はい、なんでしょう」
「だから、離れろと言っている。従わないならば・・・・・・」
 拳を堅く握りしめながら話すヴェロニカを遮って、爆音が鳴り響いた。
「敵襲! 敵襲!」
 耳をつんざくような音の合間に兵士が叫んで回っていた。
「あっと、これは失礼。私は任務に戻りますので」
 爆音も気にせずに殴りかかろうとするヴェロニカからさっと身を引いた衛生兵はそう呟いた。
「貴様、逃げる気か!」
「さぁさぁ、私たちも任務に戻りますよ」
 怒り収まらぬヴェロニカの腕をとり、彼女の怒りのきっかけであるものを片手に持ちつつ言う。
「言いたいことは色々あるが、それは後にしよう。カテリーナは、安全な場所に避難しなさい。まぁ、こうなっては安全な場所なんてないに等しいけれど」
 途中で、カテリーナの心配そうな視線を感じてヴェロニカは言った。
「はい、お姉様もお気を付けて」
「了解だ。あと、これを返しておく」
 そう言ってどこから取り出したのか、一丁の拳銃を放り投げる。
「あ、これは」
 それは、彼女がヴェロニカを撃とうとした拳銃であった。
「自分の身は自分で守りなさい。大分使い古してあるみたいだから、手入れをしておいたわ」
 カテリーナが、視線を落とすと、その拳銃はいつのまにか汚れが拭き取られ、動作部分に油が差されて入念に整備されていたのであった。
「ありがとうございます。お姉様、また」
「また会いましょう、カテリーナ」
 最後にウィンクをすると、回れ右をしてヴェロニカはは知っていった。その姿は、今の状況に置いても思わず見ほれてしまうほど絵になる光景であるとカテリーナはどこか冷静に考えた。

「敵の準備砲撃は、一段落したようね」
「もっと怖いのが来るから安心できないがね。まぁ、お前より怖いものはないが」
「特別に今は聞かなかったことにしてやる」
「それはどうも」
 断続的に続いていた迫撃砲やロケット弾攻撃が収まったことを確認すると、隠れていた物陰から街道上に出る。あとは、自分の戦車が無事であることを祈るのみだ。
 幸運にも、ヴェロニカたちの小隊所属の戦車に損害はなく、その体を凸凹になった広場の一角に下ろしていた。
 新体操の選手のように華麗に車内へと飛び込むと、ヘッドセットを被り、流れてくる通信に耳を澄ませた。
「ヴェルグアインから、ヴェルグツヴァイへ。我々は、敵戦車部隊の攻撃を受け、後退して再編成中。君の小隊も付近の突撃砲小隊と共同して後退せよ」
「敵の数は?」
「重戦車1を含む6両と歩兵部隊だ」
『何かおかしいわね』
 ヴェロニカは敵の戦力に違和感を感じた、いくら重戦車を含むと言っても、数が少ない。これには裏があるに違いない。そうヴェロニカは短い時間で判断した。
「ヤヴォール。敵戦車を牽制しつつ後退します」
 ヴェロニカの小隊すべての戦車長から準備完了の合図が来たことを確認し、機動を開始した。
 偵察に出した歩兵からの報告によると、敵は、一番広い街道を一直線に堂々と進撃しているらしい。
「どう思うか、クルト」
 ヴェロニカはクルトの背中に声をかける。
「怪しいですな。最初は狙撃兵や対戦車兵が潜んでいるのかと思ったが、敵は一番見通しの良い場所をこれ見よがしに進撃してきやがる。これで何もなかったら、敵は人間じゃない」
「ずいぶんな言いようだが、私も同意見だ。初期のあいつらなら有り得たかもしれないが、今の相手は歴戦を潜り抜けてきた兵士たちだ。だが、いつも勝ってばかりはいられないことを思い知らせてやる。私の判断が間違っていなければそろそろ何かあるはずだ」
 上官の命令に従って後退しつつ、ヴェロニカは歩兵を従えて道角から現れた突撃砲小隊、ベルメール三号突撃砲を見つけ、状況を伝える。
「何もなければ、命令通りに後退するが・・・・・・」
 味方部隊の主力がいる後方にそっと目をやると、爆音ととも幾つもの土煙が上がるのが見えた。
「読み通りですね、ヴェロニカ少尉」
「こちら、ヴェルグアイン。どうやら、前方の敵はおとりだったようだ。ヴェルクツヴァイ、現在どこにいるか」
 アンの高い声が響いた後、予想したとおりの通信が入った。
 その苦笑混じりの通信にすぐにヴェロニカは返答した。
「こちら、ヴェルグツヴァイ。我が小隊は、突撃砲小隊と共同して罠を張っています」
「そうだろうと思ったよ。我々は、敵の主力と交戦中で支援できない。君たちだけで突破口を開け」
「最初からそのつもりです」
「こちらは、罠にかかった振りをして時間を稼ぐから、その時間でやれるな?」
「もちろん」
「大変結構。朝飯にはちょうど良いだろう」
『ちょっとタイミングが悪いが、相手の方から獲物になってくれるのだから良しとするか』
 ヴェロニカは、まず何から頂こうかとその薄いピンク色をした唇を大きくゆっくりと舐め、街道に突き出す形で得生い茂る森林に戦車を停車させ、突撃砲小隊には街道の反対側にあった大きなアパートに隠れるよう命令を出した。
「敵は、我々を罠にかけたつもりだろうが、生憎我々も人間だったというわけだ」
「人間と言うよりは、じゃじゃ馬だがな。イデッ」
「誰がじゃじゃ馬だ。一度、正面に張り付けにして即席の増加装甲にしてやろうか」
 鋭い刃のような冷たい声が投げかけられた。さらに、クルトは刺すような視線も感じた。
「そうしたら、誰が戦車を操縦するんでしょうかね」
「おとなしく黙ってろ」
「少しは人のことを考えて・・・・・・」
「私が騎手なら、お前は馬だ。馬は文句言わない。黙って操縦する」
「ヤヴォール」
 何ともやる気のない声を上げるとそれ以上軽口は叩かなかった。
「野良猫め、早く出てこい」
 独り言のように呟くと、息を殺して敵を待つ。
 敵は依然自信満々に、進撃してくる。そんな彼らの側面から一撃を浴びせ、度肝を抜いてやれるのが楽しみで仕方なかった。
 彼女は、負けている時のような士気の低い敵をねらうのはどうも気が乗らなかったのである。
 狙うなら戦意が旺盛の兵士であり、そいつらを地獄のどん底へ引きずり込んでやることが何よりも楽しみであった。
 街道上に散乱する建物の細かい残骸をはじきとばし、踏みつぶしながら迫ってくる戦車の履帯の音と戦車に付き従う歩兵の足音、そして彼らの獣のような荒い気遣いがヴェロニカの心を興奮させるのであった。
「さぁ、狩の時間だ。第一目標は、敵重戦車。おそらく、敵戦車隊の指揮車だろう。まず、頭をやる。それが成功したら突撃砲はほかの戦車をねらえ」
 ヴェロニカの小隊も突撃砲小隊もそっと息を潜め、彼女の声だけが通信機から聞こえていた。
 突撃砲でも側面を至近距離からなら敵重戦車を撃破できるだけの能力を持っているが、万全を期するために彼女達の戦車で攻撃することにしたのだった。
「敵が目の前に姿を現したその瞬間が勝負だ。一発目で確実にしとめる。各車、準備良いな」
 ヴェロニカの声に、各車の車長から小声であり、しかし力強い返答が来る。
「ヤヴォール、ヘルコマンダー」
 ヴェロニカの目の前には、報告通り、KV-1重戦車1両を先頭にT-34/85戦車が5両続き、その周りを汗を額に浮かべた歩兵達が小銃を手に歩くのが見えてきた。
 先頭を行くKV-1は、初期型より装甲を全面的に厚くした後期生産型であった。
 敵戦車が見えてもすぐには発砲はしない。確実に撃破できるようにちょうど敵戦車の側面が丸写りになるところまで待った。
「フォイア!!」
 攻撃開始の合図は、短く、大きく、力強い声で放たれた。
 ヴェロニカ少尉のW号線車から高速徹甲弾が発射されたのとほぼ時を同じくして、他の2両からも同じく高速徹甲弾が発射された。
 何事か。突然の射撃音に、その音のした方向を向いた敵戦車隊指揮官が目にしたのは発射炎によってその体を照らし出すヴェロニカ達の戦車であった。
 だが、彼が部下達にそれを伝えることはできなかった。通信機に話しかけようと思った次の瞬間、高速徹甲弾が3発続けざまに命中し、彼の体はいとも簡単に引き裂かれ、街道から数十メートル遠くに吹き飛ばされてしまったからである。
 射撃音に反応し、指揮官の乗る戦車が撃破されたことによって敵襲襲であることを遅れながらも認識するに至った敵兵士達は、乗車する戦車の主砲を、その小銃を敵がいる方向に向かって指向し、発砲を開始しようとした。
 しかし、まだ彼らに反撃を行うことをヴェロニカ達は許可していなかった。
 彼女の命令に従い、突撃砲小隊が至近距離からT-34戦車2両に徹甲弾を浴びせ、これを撃破したのである。
 また、戦車の陰やもっと近くの建物の陰に隠れていた歩兵部隊がその手に持つ小銃や対戦車火器、パンツァーファウストやパンツァーシュレックで畳みかけるように砲火を浴びせかけたのだ。
 それらの攻撃によって、敵は、再び、三度反撃に水を差され、車両やその肉体自身を粉々に吹き飛ばされ、引き裂かれ、穴を空けられた。
 もう、敵の混乱度合いは最高潮に達していた。
 第一撃を生き延びたTー34は、仲間が撃破されていく間に最も大きな驚異になっているヴェロニカのW号線車に向け、撃破された味方の戦車に隠れるように車体を移動させ、砲塔を回転させ、そのスコープの先に目標を押さえる。
 しめた。これで、味方の仇を討てるとT-34の戦車兵は確信した。
 突撃砲は、撃破した戦車が邪魔で思うように射撃できないし、無理に残骸の向こう側にいる敵戦車を狙い撃てば、願わくは同士討ちを演じさせることができよう。
 あとは、砲手に命じ、徹甲弾を発射させるだけだ。敵が至近距離で発砲し、重戦車をやったように、こちらも至近距離で撃てるわけであり、初期型よりも砲身長が長くなった主砲であればどの方向からでも確実に敵を撃破できるはずだ。
 車長は、忌々しい敵戦車長が業火に焼かれるのを笑いを含んだ目つきで見つめた。
 だが、彼が目的を達成することは永劫になかったのである。
 なぜならば、ヴェロニカ少尉は、さらにしたたかだったのだから。
 彼女は、一緒についてきていた対戦車砲を持つ砲兵に最初の攻撃では発砲させず、最後に攻撃するように命令したのだ。
 小銃程度の弾は防げても射撃した方向がわかれば、位置が露見し、撃破されてしまう可能性があるからだ。
 そのおかげで、チャナヴェート連邦陸軍の兵士達は視線に入った戦車にばかり注目してしまい、その周辺に潜む、対戦車砲を見逃してしまった。
 三号突撃砲よりもさらに低威力の対戦車砲で、すでに旧式化していたが、正面装甲以外、しかもエンジンのある後ろ側から撃てば、低装甲の部分を狙い撃てるし、全く別な方向からの攻撃に急には対応できない。
 今なら、敵も気づいていないし、絶好のチャンスだった。
 もちろん、そんなチャンスをみすみす逃すわけもなく、対戦車砲を操作する兵士は、T-34に向かって徹甲弾を発射させる。
 徹甲弾は、薄い装甲を貫通し、今まさに発射命令を下そうとした戦車長の背後から襲いかかった。
 さらに運の悪いことに、命中によって生じた火花によって戦車に積まれていた燃料に引火、これが弾薬に燃え移り、彼の乗っていた戦車は内部から膨れ上がるように大爆発を起こしたのである。
 その破片は、付近にいた歩兵を最初から繋がっていなかったかのように真っ二つに引き裂き、また大小様々な破片を体に浴びた兵士は何も発する間もなく地面に倒れ伏した。
「残りは一両だ。丁重に歓迎してやれ」
 静かに、それでいて野獣のような目つきであっと言う間に仲間を撃破されて一両だけ生き残ったT-34と歩兵を見つめる。
 チャナヴェート連邦陸軍の歩兵達は、数秒後には自分も死んだ仲間と同じように物言わぬ屍に成り下がるのだと恐怖におののき、その災厄から逃れようと目に付いた敵に向かって狂ったように小銃や機関銃を撃ちまくる。
 だが、そんなでたらめな射撃にセレバンテス帝国陸軍兵士は臆することなく、一人一人、弾薬消費を抑えるように急所を狙って手に持つ小銃のトリガーを引き絞る。
 残った最後のT-34の乗員も歩兵達と同じ状況だった。戦車隊の隊長は既におらず、周りは敵ばかり。もう既に、任務ということは頭から完全に消え、ただただ生き残りたいという気持ちで頭の中がいっぱいになり、目に付いた突撃砲を射撃するように命じた。
 絶望的な状況にあっても体が覚えている装填、射撃作業は滞りなく行われ、砲手は目標に向けて、徹甲弾を撃ち放つ。
 徹甲弾は、3両いる突撃砲小隊の右端に展開する三号突撃砲の車体に命中し、これを沈黙させることに成功した。
 砲手は、戦果を報告しようと車長の方向を見上げた。
 しかし、その目に見えたのは、車内に向かって倒れ込む車長と砲塔上面のハッチから姿をのぞかせる敵歩兵、そしてその手から投げ落とされる手榴弾であった。
 T-34の周りを固める歩兵の数が減ったことを確認したセレバンテス陸軍の歩兵が小銃を連射しつつ戦車に肉薄し、護身用の拳銃で応戦する車長に何発もの小銃弾を命中させて射殺し、開いているハッチから手榴弾を投げ込んだのである。
「T-34から離れろ!! 爆発するぞ」
 手榴弾を投げ込んだ兵士が味方歩兵に叫ぶと、小銃を付近の敵歩兵に向かってばらまきながら建物の陰へと急いで後退する。
 最後の歩兵がスライディングして建物の壁へと滑り込むと、戦車が身震いするように揺れ、黒煙をハッチから吐いて沈黙した。
「止めろ、近づくな」
 仲間の制止を隣で聞きながらも無意識にチャナヴェート連邦陸軍の歩兵がT-34に近づいた。
 砲塔に登るために、車体に手を触れた瞬間、乾いた小さな爆発音が耳に入った。それが何を意味するか認識するに至ったときには既に手遅れだった。彼を制止した歩兵はT-34の爆発に巻き込まれるか、敵の攻撃に倒れるかの二択に後者を選んだ。
 T-34は、爆発エネルギーを外に逃がそうと、ハッチのある砲塔に殺到し、逃しきれなかったエネルギーが重い砲塔自体を紙細工で出来ているかのように軽く空へと吹き飛ばした。
 そして、後ずさりする歩兵の頭上から降ってきたのである。
 10分と経たずに装甲車両すべてと歩兵の大部分を失ってしまった敵は、すっかり戦意を喪失してしまい、小銃や拳銃をその場に置くと両手を真っ直ぐ上げるホールドアップの体勢になり、降伏の意を示してきた。
「ヴェロニカ少尉、どうしましょう?」
 ヴェロニカが味方の主力に突破口が開いたことを伝え終わったのを確認して聞いた。
「どうも何も、彼らが捨てた武器はろ獲するとして、今捕虜をとっている暇なんてないわ」
 チャナヴェートの暑苦しい男共を捕虜にするなんてまっぴらごめんだと、その場で射殺してしまいたいほどではあったが、戦争にもルールがあり、捕虜の取り扱いにもルールがあった。
「了解した。彼らには、トラックを一台回す。乗り心地は最悪だろうが了承してもらうほかないだろう」
 上官にそういわれてしまっては、彼らを追い返す訳にも行かず、後退してきた歩兵部隊のトラックに捕虜を収容し、武器弾薬が不足している味方歩兵は敵の小銃や手榴弾を回収し、それぞれ兵員輸送車かトラックに搭乗する。
「あんな奴らに貴重な車両を割り当てるくらいなら、カテリーナに一両兵員輸送車を割り当てた方が割りに合うな」
「カテリーナちゃん、大丈夫ですかね」
 ヴェロニカのそれは、彼女の生死を心配しての発言だったが、アンのそれは、どちらかというとあんな可愛い子を連れてこられなかったという未練からきていた。
「大丈夫さ。そう約束したからな」
「人の心配するよりも先に、自分の心配をした方が良いんじゃないか?」
 相変わらず前を向いたままのクルトが呟く。身構えていたクルトであったが、珍しく何も起こらなかった。
「確かに、クルトの言うとおりだ。まずは、私達が生き残らなくては、ね」
 ヴェロニカは、カテリーナと別れた場所の方向に振り返る。もちろん、その視線の先には別の建物があり、彼女自身の姿も彼女がいた建物も見えないが、ヴェロニカを見送るカテリーナの姿があるに違いないと確信し、声をかける。
「君は、自分の命を守るだけでいい。それだけしてくれれば、私から会いに行ってやる」
 どこか憂いの混じった表情でそう言うと、直ぐに戦車兵のヴェロニカの表情に戻り、部下へと命令を下した。
「各車、負傷兵を収容し終わり次第、周囲を警戒しつつ主力の後退を支援するため前方の橋の安全を確保する」
 頭を切り替え、任務に集中する。カテリーナを忘れるわけではないが、彼女は彼女の部下を、そして彼女自身を守らねばならないのだから。
 不思議と戦闘への恐怖は微塵も感じなかった。戦闘で興奮しているときとはまた違う高揚感で心が満たされていたのである。
『希望があるという事は良いことね』
 一瞬、自嘲気味に笑みをこぼすと、視線の先で鳴り響く轟音に負けないくらいの大きな声で彼女は吠えた。
「隊長から各車へ。パンツァーフォー!!」


小説についてのアンケート
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