戦乙女が舞い降りた地で、

架空戦記
長編小説一作目、架空の世界を舞台にした戦争物の作品です。

第17話 二つの嵐

 リオン中将たちが試験を行っている頃、ファメール皇国の首都、ロートアムでは霧城の沙羅、ルヴィアゼリッタのフランクリン・デイビス・フォートミリアム大統領、ファメールのトータス・カビンナー首相、リッシュメルのルノー・ド・ペンタ大統領、チャナヴェートのレニン・ヴィプト書記長が集まり、戦況についての会談をしていた。
 チャナヴェートは、ルヴィアゼリッタ、霧城の支援でなんとか戦線を支えている状況で、レニンによる大粛清が今も尾を引いていた。首都、モスコミューはセレバンテス軍により一度包囲占領され、陸軍兵士の度重なる犠牲の上に何とか奪い返した。そのため、このメンバーの中では一番発言権が低かった。レニンは、セレバンテスの攻撃を文字通り人の壁で押し返し、後方に控える数百万、数千万にのぼる陸軍兵力を鉄道、車両、航空機によるピストン輸送で続々と前線へ送り込んでいた。
 会談の主議題は、セレバンテスが降伏した後の領土問題であった。チャナヴェート以外の首脳は、レニンによる共産勢力の拡大に疑念を抱いており、戦後のどさくさにまぎれて必ずや共産勢力を拡大を推し進めるであろうという考えで一致していた。占領されていた参加国の領土は、速やかに参加国に返還されることが決定されたが、それ以外の諸国の領土についての処遇はどの国に優先権を与えるかで会談は紛糾した。
 チャナヴェートは、当然のごとくセレバンテスの東半分とその東にある全ての諸国の優先権を与えるよう要求した。そのうち、第二次大戦以前、チャナヴェートが占領し、併合していた三カ国についてはチャナヴェートに優先権を与えることは了承された。
 また、議論の末、セレバンテスの戦前の領土のうち、戦争勃発までに併合された国家に関しては、1カ国が霧城連邦、1カ国が霧城連邦とルヴィアゼリッタの二カ国で50%ずつ優先権を持つことに決定した。南欧州のチャナヴェートの国境に近い二カ国については、チャナヴェートが優先権を持つことに決定した。
 しかし、セレバンテス自体についてはどんなに話し合っても議論が収束することはなかったのである。
 最終的に、セレバンテスが降伏してから再び話し合おうという沙羅による提案を各国は了承し、セレバンテス自体の領土については一度棚上げになった。
 そして、次のような四点について合意するに至った。
1、敵が降伏するまで戦いを続けること。
2、セレバンテスが降伏するまで、チャナヴェートを支援すること。
3、セレバンテスの領土は、戦争終結後に一部を分割統治すること。(詳しい統治国は、別に定めることとする)
4、セレバンテス自体の領土については、再び会談を行う際に再検討すること。

 仲間はずれにされていることを感じ取ったのか、会談の終了後、すぐさまレニンは帰国し、ペンタも混乱する国内情勢の収拾のため帰国した。
 なにはともあれ、この会談により、セレバンテスの運命は決したといってよかった。だが、セレバンテスによって占領されていた各国は戦争が終わっても、それは占領する国家がセレバンテスでなくなるというだけで、根本的には何も変わらなかったのである。


1944年9月2日 1930(午後7時30分) 空母翔鶴 飛行甲板

 太陽が水平線の向こうへ消え始めると、日中でも低かった気温はさらに低くなり、とてもではないが半そでで外には出られない気温であった。ジャケットを羽織ってきたすみれも少しからだを震わせながら夜空を見上げていた。
 彼女は、夜空を見上げるため、甲板上に出るのが日課となっており、今日も夕食を食べた後、自室へ戻ったその足で甲板上にきていたのである。他のときなら、一緒についてくるレイカもこれにはついてきたことはなかった。彼女なりに気を遣っているのだろう。乾季のこの月、空には雲一つなく、三日月が一際大きく瞬き、その周りを無数の星たちが夜空を綺麗に彩っていた。
「こんなに星は綺麗なのに、こんなに世界は静穏に包まれているのに、今もどこかで戦争が行われているのね」
 すみれは、ふと、首にかけているネックレスに視線を移す。日中、近藤からもらったネックレスを早速身に付けていたのだった。そのネックレスは、月の淡い光を反射してきらきらと神秘的な輝きを放っていた。
「ずっと独り身でいるつもりだったけれど、誰かと一緒になるのも良いかもしれないわね。でも、それもこの戦争が終わってからね」
 そういって、10分くらいの間、夜空をぼーっと見上げていたすみれであったが、体が冷えてくるのを感じ、長くいると風邪を引きそうな寒さだったので、早めに切り上げて艦内に戻ろうと踵を返した。
 すると、艦内から上がってくる人影を発見した。誰かと思いつつ、近づいていくと、それは日中会ったばかりの桜であった。
「あら、桜中尉じゃない。あなたも夜空を見に?」
 声をかけられ、向こうもこちらの存在に気づいたらしく、小走りで近づいてきた。
「お疲れ様です、すみれ大尉。えぇ、航空機の整備を手伝っていて、その気分転換に。すみれ大尉は、いつも夜はここに?」
 桜は、走り寄ってきて敬礼をすると少し緊張しているのか、間を置いて話し始めた。
「そうね、夜空を見ているとなんだか癒されるような気がしてね。夜に時間があれば、いつも来ているわ」
 すみれは、恥ずかしそうに桜に背を向けながら夜空を見上げて言った。
「それよりも、その年で新鋭機のテストパイロットなんて、相当苦労したでしょう?」
 レシプロ機を乗りなれたすみれにとって、ジェット機なんて乗れたものではなかった。しかも、艦載機ときている。ただでさえ、操縦の難しいジェット機で、発着艦をこなすなんて尊敬に値した。
「いえ、私は好きで乗っているので。じゃじゃ馬を乗りこなせた時って、とっても嬉しいんです。それがあるから、どんどん挑戦してみたくなりまして。疾風を自由自在に乗りこなしていらっしゃる大尉殿もお分かりになりましょう?」
 航空機の操縦が心の底から好きなんだなとすみれは感心した。そして、雷電のことを嬉しそうに語る桜を微笑ましく思った。
「それはもちろん。乗りこなせて、機体が自分のものになったと思った瞬間は、それまで異物のようだったものが体の一部みたいに感じられて、とても嬉しいわね。私もおちおち戦闘機隊の指揮官なんてしてられないわ。気がついたら、あなたが上官になっていたりしてね」
「いえいえ、ご謙遜を。すみれ大尉が数々の戦果を挙げ、エースと呼ばれていることは存じております。それに、指揮官になるためにはすみれ大尉のような優れた部隊指揮能力を学ばなければなりません。機械を自分のものにする以上に部下を指揮するのは難しいと考えていますので」
 そうは言っていたが、桜は素直な笑顔を浮かべ、尊敬する相手に能力を認めてもらえたことに喜んでいた。
「これからは、ジェット機の時代よ。それを乗りこなせるあなたは、我が海軍にとって、とても有望な人材だわ。そんなあなたたちのためなら、でき得る限りのことを私はするわ」
 そう言うすみれに、桜は素直に感謝の意を述べた。
 しばし空を見上げる二人の耳に、背後から誰かが小走りで近づいてくる足音が聞こえてきた。すみれは体を180度回転させ、桜が頭だけ動かして後ろのほうを見るとその足跡の主は息を切らしながら桜に話しかけた。
「はぁはぁ、どこ行ったのかと思いましたよ。勝手にいなくなってしまって、俺が中尉の分まで整備をやる羽目になったんだから貸し一つだからな」
「貸しだなんて、私は作った覚えはないわよ? まぁ、そうねぇ。一応、考えといてあげる」
 桜は、佐賀に背を向けたまま言った。
「そういうことなら戻ったほうがよろしいのでは?」
 すみれが言うと、桜は佐賀を一瞥して言った。
「あぁ、良いんですよ。男は体力が有り余っているんですから、少し疲れさせるくらいでちょうど良いんです。それに、この佐賀ですから体力消耗させとかないと何をしでかすか分かりませんしね」
 佐賀の表情を視線だけで確認して桜が言った。
「おい、いくら階級が上だからってなぁ。そこまで言う事……」
 そこまで言って、隣にすみれがいることを思い出して拳を握り締めながら、先の言葉を飲み込んだ。
「もう、どうでも良いから、早く戻ってください!!」
 それだけ言うと、佐賀は身を翻して来た道を引き返していった。
「では、そろそろ私も失礼させていただきます。また、時間がありましたら、そのときはまた」
 桜は、帰り際にすみれと握手を交わし、佐賀の後を追って歩いていった。
 すみれは、その背中を見送り、佐賀と彼に追いついた桜が一緒に艦内へと消えようとしたとき、周囲に大音量のサイレンが鳴り響いた。
 サイレンの音と共に、寝静まっていた基地のあちこちが明るくなり、何事かと艦内から何人か水兵が出てきた。その中には永子中尉も含まれており、彼女はすみれに近づくと、息も絶え絶えに口を開いた。
「中隊長、至急、格納庫へ来てください」
 基地の片隅にあるレーダーサイトからサイレンが聞こえ始めたので、敵編隊が発見されたというところまでは予想がついていた。だが、敵編隊なら、待機している夜間戦闘機が発進して迎撃に向うし、今までもそういうことは何回もあった。それに、海の向こうには主力機動部隊が遊弋(ゆうよく)していたのである。それらから支援が飛んでくればたとえ大編隊であろうと迎撃に支障はきたさないはずである。
 しかし、永子の緊迫した表情を見て、それ以上の何かがあるのではと思い、すみれは格納庫へと急ぎながら聞いてみた。
「永子、それほどの大編隊なの? 主力機動部隊は?」
 すると、永子は一言。
「主力機動部隊からの支援は、全く来ないと思います」
「えっ?」
 あまりにも予想外の答えだったので、すみれは間抜けな返事をしてしまった。支援に来られないほどの強大な敵編隊が機動部隊を襲っているのだろうか。だが、それならもっとおかしい。そんな編隊を機動部隊に投入しているなら、こちらまで航空隊を送るような余力をセレバンテスは残していないはずだ。考えれば、考えるほど、すみれの頭は混乱していってしまったのであった。
「詳細は不明ですが、海にいる機動部隊は敵の奇襲によって大混乱に陥ってしまい、救援に向う余裕などないとのことで。出撃可能な機体とパイロットには即時出撃命令が下されました」
 そこで、また話しかけようとしたが、格納庫へと着いたため、会話を中断せざるを得なかった。
 すみれと永子が格納庫に着くと、そこは蜂の巣をつついたような状態にあった。半舷上陸で要員の半分がいない今、整備兵などの水兵だけでなく、パイロットも作業を手伝い、準備の整った戦闘機をエレベーターに載せ、飛行甲板上へと移動させていた。
 格納庫に着くと、永子はすぐに整備員から呼ばれ、すみれも自分の機体を発艦できる態勢に持っていく作業に追われ、永子に続きを聞く機会を逸してしまった。
 詳細は分からず仕舞いだったが、敵の勢力が強大なことには違いない。そう考えておけば、あとで意表を疲れることもないだろう。今は、やらなければならないことをただやるだけだ。それ以外のことを考えるのはその後で良い。すみれはそう考えて、作業に集中した。


☆


 同時刻 キーラニア軍港から東へ百数十キロの洋上
 太陽が水平線の向こうへ沈み、月が代わりに夜の覇者と言うかのように存在をはっきり主張し始めた頃、広い洋上に比べれば米粒のような航空機が2点、闇にその姿を潜めながら目標へと急いでいた。
「奴ら、相当慌てているようですな。もう、敵のレーダーに引っかかっても良い頃合だというのに」
 2機のうち、先頭で飛んでいる機体に遼機からの通信が入った。
「おい、今は不用意な無線は使用するな。敵に感づかれたらどうする」
「はいはい、了解」
 彼らは、レーダーに探知された航空隊とは別部隊で、一個小隊単独で、先行して航行していた。その機体の腹の中に収めた必殺の赤外線誘導弾を停泊中の艦艇にお見舞いするためだ。大部隊である機動部隊への攻撃にまわされなかったのだから、不満があるのは仕方ない。
 しかし、分別はしっかりとつけてほしいものだ。そう指揮官は思ったが口に出しても火に油を注ぐだけだと思ったのでそれ以上は言わなかった。
 彼らの搭乗する航空機は、後に世界初の『ステルス戦闘機』と呼ばれることになる新型機である。ステルスとは、簡単に言えば、レーダーに映りにくいということだ。いまだ発展途上のレーダーにしてみれば、余程のことがなければ発見できない。まぁ、設計者に言わせれば、ステルス性能を手に入れたのは副産物でしかないと言うであろう。
 本機体の真の目的は、ジェットエンジンを最大限に活かし、他を寄せ付けない高速で可及的速やかに任務を達成し、未練をまったく残さずにその戦場を去ることにある。そのための、無尾翼の全翼機であり、そのための、セレバンテスの誇る最新鋭ジェット戦闘機であった。
 その気になれば1000キロの大台に乗ることのできるこの高速機にとっては、既に港とは目と鼻の距離だったのである。そう考える間にも、港との距離はぐんぐん縮まっていった。そろそろ低空飛行している機体を上昇に転じさせなければ。
 指揮官は、機体を左右にわずかに振ることによって合図をし、上昇に移った。上昇に転じよと言う合図だ。これに呼応して、遼機も機首を上げる。すると、機内の高度計の針が狂っているかのような速さで指し示す目盛りを変化させていった。
 上昇に転じ、普段なら雲が浮いているであろう高度に到達した頃には、地平線の向こうに光の粒がぽつぽつと見え始めていた。それは、次第に数を多くしていく。
 距離、方角共に間違いない。目標のキーラニア軍港だ。指揮官は、手元だけを動かして、素早く短い音の信号を遼機へと送った。信号を送った指揮官も、信号を受け取った遼機のパイロットも爆弾層を開くスイッチに手を掛けた。爆弾層のハッチは、小さな軋むような音を立ててその中身を眼下にさらけ出す。搭載された爆弾は、黒光りし、今か今かと出番を待ちわびる。
 ついに、軍港上空へと差し掛かった。兵士の寄宿舎や弾薬庫、対空陣地を素通りして目標の艦艇へと向う。今頃になって気づいたのか、曳航弾にまぎれて銃弾や機関砲弾、高角砲弾が飛んでくるが、彼らにとって、そんなものは何の脅威にもならない。彼の視界には、急速に姿を拡大させる敵艦艇しか入っていなかった。
 遠距離では迎撃されるかもしれないが、この距離ではさすがに無理だ。彼らの無慈悲な目は目標を見つめ、ある距離まで達したとき、目をカッと見開き、投下レバーを力いっぱい引いた。一瞬、見えない誰かに機体を持ち上げられたかのような感覚に襲われ、爆弾が投下された。
 最悪の貧乏くじを引いてしまった一人目は、老齢の姫君、旧式戦艦を改造して建造された大型工作艦であった。もとは戦艦であるとはいえ、工作機器を満載し、鈍重で対空火器は貧弱な彼女に最悪を免れられる可能性など1パーセントも存在し得なかった。これが、最新鋭の対空設備を備えた一級の戦闘艦であってもこの状況ではさほど変わりないことではあったが。
 今まで数々の損傷艦を修理してきた彼女なら分かったのであろう、致命傷の傷であると。彼女は、それを素直に受け入れるようにさしたる抵抗もせず、その艦底を攻撃を放った主に見せ、降伏を表明した。
 次に貧乏くじを引いたのは、翔鶴と同じ航空戦隊を構成する同級の翠鶴であった。開戦後の戦訓を踏まえ、全身にハリネズミのように機銃、機関砲、高角砲を備えた翠鶴は猛スピードで迫り来るたった一機の敵機に向け、持てる火力の全てを投入して迎撃を行った。工作艦と違い、生まれてから日が浅い彼女は機関を全力で動かし、猛烈な砲火を浴びせ、攻撃を回避しようとあがいたが、時既に遅しであった。艦が動き出すよりも前にその機関に爆弾が命中し、彼女はその生涯を終えたのであった。
 翠鶴は、怒りを撒き散らすかのように、飛行甲板上、格納庫内の航空機を巻き込んで、天にも昇りそうな炎を艦の中心から巻き上げた。
 既に無線封鎖を解除していた小隊では、部下が歓喜の叫び声を挙げていた。
「ひゃっほー、大型艦二隻、そのうち一隻は空母とは、とんだご馳走ですな」
 興奮する部下とは対照的に、いたって冷静な指揮官は機体を反転させて、帰路に着こうとしていた。
「さっさと帰るぞ。燃料がぎりぎりなんだからな」
 これには異論はないらしく、部下も素直に機体を反転させて指揮官の後を追った。彼らの小隊は、ステルスの維持のため、増加燃料タンクを装着せず、機内燃料だけで来たため、発進基地へ帰れるだけのぎりぎりの燃料しか残っていないのであった。
 しかし、基地が徐々に遠ざかっていったころ入った基地からの通信で、指揮官はその考えを改めざるを得なくなってしまったのである。発進基地が空爆を受けた。ただ、それだけの通信であった。指揮官も空爆の可能性については当然想定されていた。基地が空爆を受けたら、燃料の残量に関係なく、作戦空域で最後まで戦うことを厳命されていたからである。
 彼らの機体が降りられるほかの航空基地は、機体の航続距離の中には一つも存在しないからだ。これでは、いずれにせよ、機体は放棄せざるを得ない。それならば、最後まで戦って来い。それが小隊に出された命令だった。
「おい、聞こえるか。基地から通信が入った。もっと、やれだとさ。お前もまだやり足りなかっただろう。存分にお見舞いしてやれ」
「了解。残念ですが、隊長には良い獲物は残しませんよ」
 そう言うと、部下は機体を反転させ、指揮官も後を追った。


☆


 翔鶴の甲板上でも艦内と変わらず、レーダーに探知されていない敵による爆撃を受け、牽制のために対空砲火をあげる者、見えざる敵をその射線におさめようと銃座を左へ右へひっきりなしに動かす者など混乱の様相を極めていた。甲板上に上がった機体も発艦作業のほとんどを省き、あとからエレベーターで昇ってくる機体に追い立てられるように発艦していった。
 飛行甲板上にすみれが機体と共に上がると、士官が一人小走りで近寄ってきた。
「情報が錯綜していますが、我が基地も空爆を受けています。そのため発艦後は周囲に十分気をつけてください。敵は新型の可能性があります」
 すみれは、風防を閉めながら頷いた。そして、機体から離れるように手で合図してカタパルトの位置まで機体を前進させる。背後に永子の機体がエレベーターで昇ってくるのを確認し、主翼、尾翼や計器類の確認を素早く行い、準備が整ったことをカタパルトを操作する要員に合図した。
 数秒、加速する機体の座席に体が押し付けられるのを感じ、機首を持ち上げる。
 高度をとって周囲を見渡す。だが、敵の機体をなかなか発見できなかったのである。時折、基地の各所で機銃掃射を受ける音を確認しても、相手がどんな機体なのか確認することはできなかった。
 これほどの高速機は、ジェット機以外に考えられない。そうすみれは結論付けた。そして、初めてジェット機と交戦したときのことも思い出していた。あの時は部下を二人も失ってしまった。今回は、なんとしても部下を生きて返さなくては。
 そうすみれが考えていたとき、永子から突然通信が入った。
「中隊長、上!!」
 永子の通信を受け、反射的に右へ機体を旋回させた。そのすぐ後、機体前方で銃撃音が鳴り響いたと思うと、曳航弾が前方から機体の背面を通り過ぎて背後へと抜けていった。そして、銃撃を行った主が同じように背面を通り抜けて急降下していく。
「ありがとう、危ないところだったわ」
 暑いわけでなく、逆に寒いくらいなのに、額には大量の汗が浮いていた。
 すぐに永子の疾風が隣に現れ、他の部下の報告をしてきた。半舷上陸していた中隊の面々のうち、間に合ったのはイシュタルとレイカのいる小隊だけだったらしい。そして、彼女らの小隊ももう飛び立っているとの事だった。
 すみれは、部下に通信を入れるため、部隊内用に切り替えて口を開こうとした瞬間、視界の端で一瞬何かが輝くのが見えた。ちょうど永子の疾風の下方だ。彼女は、まさか、と思い、すぐさま永子に通信を入れた。
「下よ!! 避けて!!」
 そう言うか言わないかの時、銃撃の音が聞こえ、上方から曳航弾が降ってきた。
「永子!!」
 永子の疾風は、回避が間に合わず、まだそこにいた。すみれは、すぐ後に起こるであろう事態を想像し、思わず目を瞑ってしまった。
「上?」
 確かに、先ほど視界の端に映ったときは下だったのに、曳航弾は上から降ってきた。もう一機敵がいたのだろうか。いや、そんなはずはない。すみれは一るの望みをかけて永子が先ほどまでいた方へ視線を移した。
「えい……こ?」
 そこには、先ほどと変わらず、すみれの隣を飛行する疾風が映っていた。
「間に合いましたね、すみれ大尉」
 通信機から聞こえるその声は、空戦中に聞くのは初めてだが、既にどこかで聞いたことのある声であった。
「敵の新型は、私たちが相手取ります。大尉たちは、他の機体をお願いします。ですが、他にいないとも限りません。十分注意してください」
 周囲を確認すると、レシプロ機が数十機、味方戦闘機隊と交戦中なのが目に入った。そして、すみれの機体のすぐそばを通り過ぎていく青いジェット機。そう、永子の窮地を救ったのは桜の乗る雷電だったのである。
 すみれは、もう一度永子の生存を確認すると、部下に改めて通信を入れた。
「中隊長から、各機へ。ジェット機は、雷電に任せ、我々はレシプロ機を叩く。だが、他にあの新型がいないとも限らない。十分注意せよ。……もう一つ、私個人として命令がある。絶対に生きて帰って。もう部下を失うのは耐えられないの。逃げたって良い、逃げることは卑怯でもなんでもないわ。命を投げうるのは許さない。私も努力する」
 途中から涙声になり、最後の一言は自分でもちゃんと言えたかどうかわからなかった。それでも、これを言わないわけには行かなかった。
「だから、くれぐれも深追いはしないこと。そして生きて帰ること。これだけ言っておくわ」
 頬を伝ってくる涙もぬぐわずに、すみれは最後まで言い切った。
 すると、レイカがいつもどおりの元気な声で通信を返してきた。
「もちろんですとも。まだ、た〜くさん学ばないといけないことがあるんですから、中隊長こそこんなところで部下を置いていかないでくださいね。ねっ、三十路の中隊長さん♪」
「もちろんよ!! レイカこそ、こんなところでやられるんじゃないわよ」
 一瞬で全身の血が沸騰したように感じ、カッとなって大声で返答する。
「はい、もちろん、そのつもりですよ。だから、厄介者はまだしばらく一緒にいると思ってくださいね」
 怒りが収まると、不思議と涙が引いていた。
「中隊長、怖いのはみんな一緒ですよ。私だって、あんな事態を二度と起こそうとは全く考えていません。だから、全力を尽くしましょう」
「ええ、それしかないわね」
 少し安堵すると、操縦桿を握りなおし、機体を味方が交戦中の空域へと向けた。

「佐賀ちゃん〜、ついてきてる?」
「もちろんだとも」
 敵の新型を追いながら、桜はうんうんと頷いた。桜が見つめる先には、敵の機体があり、間にガラス板がある。ガラス板には敵の方向と自機の向きが映し出されており、桜はその差を埋めるようにスロットルや方向舵を操作して食いつく。
 そして、敵と自機の方向が重なると今にも鼻歌でも口ずさみそうな表情で機銃のトリガーを引き絞った。
「よっし……?」
 曳航弾を伴って敵機に向かって一直線に飛んでいった機銃弾は、目標にあと一寸もないといったところで獲物を逃してしまった。絶対に命中したと思っていた桜も落胆の表情を浮かべ、ため息をつく。
「敵も良くやるわね。だけど、その方が燃えるかも」
 そう言うと、一度高度をとった。そして、唇を舐め、料理のバイキングで食べたい料理を探すときのように、周囲を見渡した。高速で飛び、しかも二機しかいない敵を見つけるのには多少時間がかかったが、見つけてからの対応は早かった。
 眼下に獲物を発見した桜は、獲物に食いかかろうと操縦桿を前へと倒し、機体を下降態勢へと移させた。支援役に徹している佐賀は彼女から降下の知らせを聞き、付かず離れずの距離で降下を開始した。桜の機体が他の敵に狙われないように援護すること、桜が逃したら間髪いれず攻撃を加えるためだ。
 大鷲がその鋭い爪で海面を泳ぐ魚を狩ろうとするように、急速に高度を下げていき、前方の自分より低い高度を飛んでいる敵機へものすごい速度で追い迫る。敵は、桜の接近に気づき、速度を上げて回避運動に入った。しかし、急降下で加速している桜の機体は敵の最高速度を一時的に上回っており、慎重に、そして急速に距離を縮めていく。
「桜中尉、前!!」
 佐賀が別の敵機の接近を報告してくるが、少しも動揺する様子もなく、操縦桿を少し横に倒した。機体が横転し、今まで彼女が飛んでいたところを無数の機銃弾が通り過ぎ、次いでジェット機が通り過ぎる。
「御礼をしてあげなくちゃ」
 そう言うと、機体を背面飛行に持って行き、その状態で縦方向にターンする。そして、背面飛行から脱したところで前方にいるはずの敵機を探す。敵はすぐに見つかった。
 敵は少し油断しているらしい。緩やかな上昇姿勢にはなっているが、高度的には敵のほうが低い状態で、急行すれば一撃を加えられる位置にあった。まさか、すぐに方向転換して追ってくるとは考えていなかったのであろう。
「背後がお留守になっているパイロットには教育をしてあげなくちゃいけませんねぇ」
 母親が子供をとがめるような優しい笑みを浮かべつつ、舌舐めずりをする姿は、見ようによっては異様でもあった。しかし、桜はそんなことを気にも留めず、死という名の教育を加えようと急速に距離を詰めていく。
 敵が桜の接近に気づいたときには、時既に遅し、であった。桜は、機銃の発射トリガーを引き絞り、そこから発射される弾丸は、鋼鉄の爪で敵機を容赦なく切り裂いた。
 間一髪、粉々になるという事態だけは避けられたが、それは返って苦しみの時間を延ばしただけであった。
 主翼内部の燃料タンクから燃料がとめどなく流れ、片翼から炎と煙を上げて旋回、降下して回避運動する敵機に桜はなおも追いすがる。
 照準が合わさると、桜は再び発射トリガーを引き絞り、機銃弾を浴びせかけた。傷を負った敵機に攻撃を避けられる道理など存在せず、放たれた機銃弾は正確に敵機のコックピットを射抜く。
 主を失った敵機は、うなだれるように機首を海面へと下げ、さらに火を噴いていた片翼が爆発を起こした。主に続き、片翼も失ってしまった敵機は、複雑な降下軌道を描きながら高度を下げていき、海面へと機体上面から激突した。
「こりゃぁ、敵じゃなくて良かったぜ」
「あら、佐賀ちゃん。何か言った?」
 ぼそっと呟く佐賀に、桜は言葉の機銃弾を見舞った。通信機の向こうで、しゃっくりのような『ヒッ』っという小さな声が聞こえ、すぐに返答がきた。
「いや、おそろしや、おそろしやって思っただけだよ」
 そう言って、全く言い換えになっていないことに気づいた佐賀であったが、何も返答してこない桜に言葉以上の恐怖を感じた。
「敵に同情するよ、全く」
 そして、これ以上の恐怖はないと開き直ったのか、ため息をついて敵に同情の念をつぶやく佐賀であった。
「それより、もう一機はどこにいるか見つかった?」
「あぁ、味方のレシプロ機を襲撃してる。新型はそれだけしか見つかっていないが、他のはいるから気をつけろよ」
 新型以外のジェットは、既に把握していたので、桜にとってはもう一機の居場所さえ分かればそれで十分であった。
「別のジェットが桜から見て東の方角から接近中だ」
「了解っ」
 知らされた方角を確認すると、二機のジェット戦闘機が接近中であった。新型ではないにしろ、レシプロには脅威であろう。桜は、もう一揆の前に彼らを狩ることに決めたのであった。
 何を思ったのか、桜は、接近してくる敵に機首を向けたまま向っていった。佐賀は、何故か聞きたかったが、愚問だと分かり、周囲を警戒しながら後を追った。
 敵のジェット戦闘機は、一機が高度を取って桜を上面から狙い撃ちする態勢入ろうと機動を始めた。しかし、桜はなおも突進を続け、もう少しで機銃の射程内に入るといったところで相手の背面に潜り込むように機首を下げた。
 敵ジェット戦闘機のパイロットは、突然目の前から目標が消えたことに驚き、来るであろう攻撃を避けようと回避運動に入った。
 だが、桜は彼には目もくれず、もう一機のほうへと視線を移した。もう一機の敵は、ちょうど降下態勢に入ったところで、どんどん高度を下げながら加速している最中であった。
 相手は、桜の真意に気づいたが、降下態勢からいきなり復帰することは出来ない。どうしても、一瞬、隙を作ってしまうからだ。そうして、どうするか迷っているうちにもどんどん高度は下がっていき、ついに我慢できなくなって上昇に転じて攻撃を避けようと機動を始めた。
 桜はその機動を見逃さなかった。降下から上昇に転じようと一時的に速度を減じた敵に、スロットルを最高にして迫っていく。敵も、桜の機動を察知して旋回で攻撃を避けようとするが、旋回するのが少しばかり早かった。もう少し直前で旋回すれば攻撃を避けられたかもしれないが、かえって速度を減じ、無防備な背面を桜に見せ付ける結果となってしまった。
「そんなに私に倒されたいですか。なら、そうしてあげましょう」
 桜は、視界一杯に広がる敵の背面に向って機銃を撃ち込んだ。そして、激突するかしないかのすれすれのところで機体を旋回させて敵機を回避する。
「佐賀ちゃん、もう一機をよろしく」
「あぁ、了解だ」
 桜は、銃撃した敵機がどうなったか背後を確認しなかった。しかし、あの銃撃を食らって無傷ではいられないだろう。その証拠に、背後から爆発音が鳴り響いた。
 桜が高度を取って佐賀に通信を入れようと思ったとき、佐賀から敵機撃墜の報が届いた。
「撃墜、おめでとう!」
 空戦中でなければ、首もとにキスしてあげるところであったが、今はぐっと我慢するしかなかった。代わりに、後でどうやって驚かせてやろうか考える。頭の中で、ハグされて赤面する佐賀を想像して笑みを浮かべながら、次の獲物を探した。まだまだ、彼女の胃袋は余裕がいっぱいあった。
「ゆっくり休んでいたかったのに、無理やり駆り出されちゃったんだから。お礼はたっぷりしてあげなくちゃね」


 その頃、すみれたちは、敵レシプロ機部隊と交戦状態に入っていた。時折、横槍を入れてくるジェット戦闘機に対しては回避に努めて積極的な行動は控えていた。桜たちの働きによって確実にジェット戦闘機の脅威は減っていたのである。
 前と違って、味方にもジェット戦闘機がいることは彼女たちにとって大きな安心感を与えていた。もちろん、警戒は怠っていないが、敵のジェット戦闘機がレシプロ機だけを集中して攻撃できないことは味方に与える影響が大きかった。
「敵は、雷電の出現に驚いているようです。動揺が手に取るように伝わってきます。それにより、混乱から立ち直った味方航空隊は優勢に戦闘を進めています」
 永子は、一度として弱音を吐いたことはなかったが、やはり彼女もジェット戦闘機には恐怖を感じでいたのであろう。敵のジェット戦闘機が減っていっていることに安堵し、入ってくる言葉も心なしか早口であった。
「えぇ、そうね。だけど、最後まで油断は禁物だわ。桜たちが援護してくれている間に少しでも早くこっちの戦闘も終結させなくては」
 心の中で桜たちに感謝すると、次の敵機を探して視線をめぐらせた。
「こちら、摩耶。雷撃隊が2個小隊向ってきている。空母が危険だ。誰か撃退してくれ」
 どこかで、聞いたことのある声だとすみれは思い、すぐにそれがリオン中将のものだと分かると、思わず通信を返してしまっていた。
「リオン中将、なぜそこに?」
「細かいことは後だ。とにかく、こちらは自分の身を守るだけで精一杯だ。援護を頼む」
「了解しました」
 すみれは、永子、それにレイカたちにも通信を入れた。そして、イシュタルの小隊が手の空いていることを確認すると、一緒に敵攻撃機の撃退に向うよう指示した。
 敵攻撃機は、海面すれすれを飛んでいた。敵の弾を避けるためでもあったが、ここは、港の中であり、海に比べて海底が浅いところにあった。そのため、あまり高度がありすぎると魚雷が海底に突き刺さってしまうのだ。
「永子、味方の対空射撃に撃ち落とされるなんて、馬鹿な真似はしないわよね」
「えぇ、もちろんですとも」
「なら、よろしい。じゃあ、行くわよ!!」
 すみれを先頭に二機は、敵の頭を抑えようと急降下に入った。敵攻撃機の後部旋回銃座がこちらを狙おうと旋回してくるが、そんなの舞っているつもりはさらさらなかった。
 視界に敵編隊を抑えようとしたとき、対空射撃が一時的に止んだ。同士討ちを避けるためだろう。すみれたちは、この好機を見逃さず、両翼に搭載された20ミリ機関砲を容赦なくお見舞いした。
 すみれの20ミリ弾を受けて片翼を失った一機は、そのまま海底に突っ伏し。永子が放った20ミリ弾が命中したもう一機は、魚雷を投棄し、主翼から火を噴かせながら、退避を始めた。他の一機も魚雷を投棄して旋回機動に入った。
 少しはなれたところにいたもう一個小隊3機は、旋回銃座から銃撃を見舞ってくるが、すみれたちはすぐにその場を退避して攻撃を回避する。そして、間髪いれずに、イシュタルの小隊が襲撃を開始する。
 こちらの小隊は、魚雷をすぐに捨てるといった行動には出ずに、イシュタルとレベッカに向って後部銃座から射撃を加えて攻撃をそらそうとしてきた。攻撃を回避して、接近する二人に敵はさらに銃撃を加え続ける。これが功を奏し、イシュタルの放った20ミリ弾は敵機のやや前方に水柱をあげるだけに終わってしまった。
 しかし、レベッカは敵を見逃さなかった。彼女の放った20ミリ弾は、小隊の左翼を飛んでいた攻撃機の胴体に命中し、敵を四散させたのである。
 一機を撃墜されながらも、他の二機はさらに空母に向って接近を続ける。すみれたちが再び射点に着く前になんとか雷撃できる位置に着くことができた。
 すぐに彼らは、魚雷投下ボタンに手を触れた。その瞬間、イシュタルの20ミリ機関砲が火を噴き魚雷を投下される間一髪で一機の撃墜に成功した。もう一機も、魚雷を投下してすぐ、永子の銃撃によって撃墜の憂き目に会うことになった。
「申し訳ありません。一機逃しました。魚雷一発が翔鶴に向けて接近中です。至急、回避してください」
 そう言ったすみれであったが、狭い港内、近距離で雷撃されては回避が困難だということは分かっていた。それでも、なんとか回避して欲しい。そうすみれは願った。
 だが、すみれの願いもむなしく、翔鶴は一向に回頭を始めず、魚雷の推進プロペラが作る気泡の跡が翔鶴に向って伸びていった。
 すると、何を思ったのか摩耶が翔鶴の側面に躍り出るように進んできた。
「リオン中将、何をやっているんですか! このままでは、摩耶に魚雷が命中してしまいます」
「なぁに、魚雷一発くらいで摩耶は沈まないさ。それより、あなたは自分の身を心配しなさい」
 リオンの言うとおり、辺りは薄暮を越えて完全な夜を迎えており、基地の各所から上がるサーチライトの光をもってしても空戦はそう簡単なものではなかったのである。
「中隊長、敵の一部は後退を開始したそうです。追撃を加えますか?」
「いえ、我々の任務は味方基地、艦を守ることだわ。深追いは禁じたはずよ。それよりも部隊を集結させましょう」
 他の小隊に連絡を入れると、彼女らも戦闘が一段落したと返答してきた。いつもであれば、自分を安心させてくれる夜空の星のどれかが突然大きさを増してきて襲ってくるのではないかと気が気でなかった。
 だが、中隊長がこれ以上動揺するわけには行かない。彼女は自分の気持ちをどうにか落ち着かせると部隊の集結場所へ急いだ。

「艦長、よろしいですね?」
 すみれとの通信が切れてから、リオンは艦長に問いかけた。
「乗務員には心苦しいが、あの子達の帰る場所を壊すわけには行かないさ。総員、衝撃に備えよ」
 艦橋からは、暗い海面に白い航跡を描きながら近づいてくる魚雷が見えた。それは、あっという間に目と鼻の先まで接近し、艦橋の死角になる所まで潜り込んできた。次の瞬間には、被雷によって艦全体が大きく揺らされ、当たり所が悪ければ……と最悪の事態がリオンの脳裏をよぎった。
 魚雷が命中した瞬間、高速の物体が艦に激突する音は聞こえたが、振動はそれほどでもなかった。
「右舷後方に魚雷一発が命中しました。ただ、魚雷は不発だったようで、現在慎重に魚雷の撤去、および浸水を止める作業を進めています」
 艦内電話で、ダメージコントロール班から報告が入った。
 艦は、浸水によって右舷側に多少傾いていたが、ダメージコントロール班の必死の作業により、まもなく浸水は止まり、全力航行には支障が出なかった。摩耶は、翔鶴の隣に付き添うようにして港外への脱出を支援した。

「もう一機は逃げてしまったのかしら。旧式なんて撃墜してもつまらないわ」
 桜は大きなため息をついた。つい先ほども、レシプロ機を2機撃墜し、今空戦だけで合計10機を撃墜した彼女であったが、目は見えざる新型を見つめていた。
「旧式って言ったって、味方戦闘機と互角に戦える戦闘機のどこが旧式なんです?」
 佐賀はそう言ってくるが、それは些細な違いでしかなかった。手応えがないのである。撃墜に苦労する相手を、自分の身を脅かすくらいのエースを彼女は欲していた。
 だから、もう一機の新型をなんとしても撃墜したかった。あのような一般の航空機と全く違う戦闘機を巧みに操っているのだ。それなりのエースに違いない。そう彼女は思った。
「まぁ、そろそろですかね。俺たちの機体では、夜間戦闘はできませんよ」
「そんなのどうでも良いから。あいつを倒せなきゃ帰れないわ」
 ため息をつき、操縦中でなければ、両手でも落胆ぶりを表現したい佐賀をしり目に、桜はすっかり暗くなった周囲を目を凝らして見渡した。その過程で邪魔をしてくるからと言うだけで何機もの敵機が血祭りにあげられた。その理由を知ったらさぞパイロットは落胆するだろうと佐賀は考えたが、それができる桜の技量には何も言うことができなかった。
 夜間戦闘の訓練も行っていないわけではない。計器を見ながら飛行すれば、夜間であっても海面にそう易々とは激突しない。だが、空戦中であればそれは別だ。昼間だって大変なのに、慣れない夜間ともなればドックファイトは恐怖以外の何ものでもなかった。
「あんたも不幸かもしれないが、俺だって大変なんだ。ま、後で余裕があれば花の一本でも手向けに落としてやるさ」
 撃墜され、機体から火を噴いて墜落していく敵機に向けて、誰にも聞こえないくらいの小声で佐賀は言った。
 いつ終わるんだろう。そう思って、ふと時計を見たとき、桜の短く、大きな声で命令口調な声が聞こえてきた。
「上よ!!」
 ちょうど高度を十分取った時であったので、佐賀は少し安心して、回避運動に入った。眼下の暗闇は怖かったが、桜の通信に脊髄反射的に舵を切っていた。
 回避運動をし始めてすぐ、今まで彼がいたところにどこからともなく曳航弾が間一髪で通り過ぎていった。その後すぐ、敵機であろう轟音と共に風の塊が通り過ぎていく。そのまたすぐ後には、もう一機の轟音と風邪の塊が通り過ぎた。桜の雷電だろう。
「ぼけっとしてないで支援よろしくね!」
「あ、あぁ」
 ぼけっとしてるつもりはないのだが、と言う言葉はぐっとこらえて飲み込んだ。触らぬ神にたたり無しだ。
 目的の敵機を見つけた桜は、やはり今度も舌なめずりをして敵機を追った。彼女の予想通りもう一機のジェット戦闘機は、勝るとも劣らぬエースであった。何度桜が背後についても、華麗に交わされてしまう。
 最初は、意気揚々と敵機と対峙していた桜であったが、だんだん苦虫を噛み潰すような表情になっていった。ぶつぶつ呟く桜に、あんたが好きでやってるんだろうとは佐賀は口が裂けてもいえなかった。
 そして、何度も背後に着き、着かれを繰り返した頃、ついにその時はきた。再び背後に着き、しかも今すぐ撃てば確実に撃墜できる。そう思って、機関砲の発射トリガーに指をかけた。だが、しかし今まさに攻撃を仕掛けようとした時だった。
「もうそろそろ、本気でやばいんじゃねぇか?」
 佐賀の突然の通信に、一瞬、発射トリガーを引き絞るのが遅れてしまった。しかし、一瞬は大きな違いだった。敵機は、すぐさま回避運動に入り、20ミリ弾は機体の中心線を大きくずれて致命傷を与えるには至らなかったのである。
「……良いところだったのに、どうしてくれるのよ」
「いあ、それでも、他の戦闘機が止めをさしてくれたみたいだし」
 可愛い声にどすをきかせて桜は言ってきた。佐賀は、冷や汗一杯で必死の弁明をしたが全く取り合ってもらえなかった。
「まぁ、それはそうと、もう帰らなくてはね」
「お、おう」
 これ以上怒らせないように。そう細心の注意を払って、帰還の準備を始めた。
 まず、翔鶴に着艦の順番を確認した。すると、既に他の機体は降りたと言うことだった。損傷を負ったりして空母に降りられなかった機体は、陸上にある滑走路へ着陸するとの事だった。
 それを桜に伝えると、「ええ、分かったわ」と静かに答えてきた。
 桜の不機嫌が長く続きませんように祈りながら、佐賀は桜に続いて翔鶴へ着艦した。
 コックピットから出ようとすると、桜が駆け寄ってくるのが見えた。先ほどのことがあったので、恐る恐る甲板上に降り立った。
「佐賀ちゃんお疲れ様。あ、そうだ、ちょっと面白いことしてあげる。だから、後ろ向いてくれない?」
 佐賀の予想とは180度違って、笑みを浮かべて近寄ってくる桜に安堵して、佐賀は安心して背中を向けた。
「あんな危ない目に付き合わせちゃってごめんね。罪滅ぼしに、首もとにキスしてあげるね♪」
「え、お、おま、そんなの急にされたら困るだろう!!」
 動揺する佐賀と桜に向って、周囲からは羨望のまなざしが向けられた。
「あ、良いの良いの。見せ付けてやんなさい」
 こんなことも悪くないかと、恥ずかしがりながら佐賀はそのときを待った。すると、桜は、周囲の人から顔が見えないように佐賀の体を回転させてきた。空戦中は怖いと思ったが、流石の桜も恥ずかしいのだろう。そう、内心ニヤニヤしながら佐賀は待った。
 顔を近づけて、もう少しでするかしないかの時、突然桜が小さく呟いた。
「背後がお留守の人には教育してあげないといけませんねぇ」
「アッ、ヒィッ。……おまえ、いつからそんなことするようになったんだ?」
 あまりに突然の出来事に、まるでスタンガンでも当てられたかのように体ががくがく震えた。
「うーん、今しようと思った」
 そのままの態勢でそう言うと、キスもしないで顔を離してしまった。
「これは、何の刑罰ですか? 何か俺は悪いことをしたのか。公開処刑ってやつか。いあ、みんな分かってないんだから違うか。いあ、俺にとってはそうだ」
「何をぶつぶつ言っているのかな? あー、そかそか。そんなにキスが嬉しかったか。私はすごく嬉しいぞよぞよ」
 いあ、キスしてないし。と、のどまででかかったが、全力で体内に押し込んだ。こりゃあ、後で胃薬を飲まなくては。
 先ほどと変わらず、羨望のまなざしを向ける周囲の人に弁明したくとも、桜の笑顔がそれを拒んでいた。これ以上何か言ったら何をしてくるんだろう。つい、想像してしまったが、想像以上のことをしてきそうで震え上がる佐賀であった。
 そして、桜から逃げるように食堂へと向うと、ツンツンと肩を指で叩かれる感触が。
「え、あ、さっきの事は謝る!! この通りだ。……ってあれ?」
 土下座の体勢から恐る恐る顔を上げると、その先にいたのは……桜ではなくレイカだった。レイカは、ポケットから小さい包み紙を取り出すと佐賀に差し出した。
「後で食べようと思ってましたけれど、あげます。あぁ、別に付き合っても良いってことじゃないですよ? お付き合いはお断りしました。今回は、佐賀さんが大変そうだったので、慰めてあげようかと。まぁ、頑張れ、です」
「あ、あぁ、頑張るよ。なんだか泣けてくるぜ。ありがとよ」
 よしよし、とレイカに頭を撫でられる佐賀を殺気のこもった目で見つめる水兵が何人かいるのを佐賀は気づいていないが、今は些細な問題だった。

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