戦乙女が舞い降りた地で、

架空戦記
長編小説一作目、架空の世界を舞台にした戦争物の作品です。

第14話 血に濡れたシュヴェーアトヴァル


 1944年7月10日
 
 ルヴィアゼリッタ合衆国陸軍を中心に霧城連邦陸軍、ファメール皇国陸軍などの連合軍は、その数によってセレバンテス陸軍を圧倒し、徐々に内陸へと食い込んでいった。作戦初期は、補給不足によって停滞していた前線もファメール皇国からの海底パイプラインによる燃料などの補給を行い、ブルベリマルク近くの軍港が再建されて絶えず輸送船から補給物資が運び込まれていたのである。
 これにより、連合軍は息を吹き返し、セレバンテス帝国を後退に次ぐ後退に追い込んでいたのであるが、ここに来て大きな問題が立ちあがった。原子爆弾研究所に対して、各国は諜報員を送るなどして情報を得、工作員で工場の破壊を試したが一向に効果は上がらず、仕方なく他の方法で敵工場を周辺の基地ごと破壊することにしたのである。
 その方法とは、陸空軍と海軍機動部隊で敵に注意をひきつけつつ、闇夜にまぎれて少数部隊を工場周辺に降下させ、破壊を行うというものであった。
 しかし、ここでまたしても問題が立ち上がる。敵の主力艦隊がその近くのフォンヴェルダ軍港に集まっていたのである。この艦隊は、一年半の間で再建なった機動部隊で精鋭の陸軍30個師団と空軍を傘に篭城する構えを見せていたのであった。近くには、セレバンテス帝国最大の鉱山地帯がある。また陸上には強固な要塞が築かれており、陸上からも攻撃が困難であった。だが、ここであきらめるわけには行かない。連合軍は、投入戦力を大幅に増強し、一大決戦を挑もうとしていた。この戦いに勝つことができれば、敵にこれ以上の原子爆弾研究を止めさせることができ、加えて敵の鉱山地帯を奪取できる。そうすれば、戦局はぐっと有利になるはずだ。
 この作戦のために用意された兵力は、陸軍だけで63個師団という連合軍と霧城連邦とルヴィアゼリッタ合衆国の空母機動部隊がそれぞれ二つずつ。一基地を攻撃する作戦規模としては最大級のものであった。
 これに対し、セレバンテス帝国も機動部隊を投入し、ジェット機部隊、新型戦車などの新兵器を多数投入して真っ向から対決するつもりであった。

 1944年7月10日 原爆研究所のあるハイガーフォンから北へ1200キロメートルの海上
 
 駆逐艦リーンは、対潜哨戒のため単艦で作戦行動をしていた。空は、暗黒の雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな雰囲気であった。
「最近、ここらまで敵の潜水艦が進出してきているらしい。各員、細心の注意を払えよ」
 リーンの艦長は、ソナー員に檄を飛ばす。事実、前日に同じ海域を対潜哨戒中だった味方駆逐艦が敵潜水艦からだと思われる魚雷で撃沈されていたのである。
「どうだ、今日の調子は?」
「あぁ、わたしゃ元気ですよ?」
 聞かれたソナー員がとぼけて返す。
「誰が、お前の調子を聞いた。機械だよ、ソナーの調子だよ」
 ソナー員は、笑みを浮かべてソナーの情報が表示されているモニターを指差した。
「今日は、珍しく機嫌が良いらしいな。これが毎日そうなら良いんだけどな」
 ソナーは、性能が良い新型で全快で作動すればこれほど頼もしいソナーはないのであるが、新型に付き物の故障率の高さにみんな手を焼いていた。
「それにしてもこうも我が艦だけ敵潜と会わないとは、良いのか悪いのかどっちなんですかね?」
 リーンは、毎日哨戒に出ていたのであるが、いまだ敵潜とは出会っていなかった。
「そりゃあ、俺が怖いから敵潜も近づかないのさぁ」
 舵を握る操舵手が振り向いていった。彼は、確かに逞しくけんかに強かったが、怖がってるのは敵潜じゃなくて同乗している味方だろうと心の中で思ったソナー員であった。
 そうこうしているうちに空に浮かぶ雨雲は一層厚さを増し、雷鳴と共に小雨が振り出した。
「あぁ、雨まで降り出しましたよ」
「見張り員を増員して警戒を強化せよ」
 艦長から命令が飛び、見張り員が顔にかかる雨をぬぐいながら双眼鏡をのぞく。
 その時、艦首右方向を見ていた見張り員から敵発見の報告が入った。
「敵潜か」
「いえ、違います。あれは、駆逐艦です。……あっ!! もっと、大型艦のあ、あれは」
 見張り員の驚きようにただならぬものを感じた艦長が自ら双眼鏡をのぞいた。その目に見えたものは、駆逐艦を前方に配して後方を進む平らな甲板を持つ大型艦であった。そして、マストに踊る軍艦旗を見た艦長は、すぐさま通信員に次の文言を司令部に報告するように伝えた。
『駆逐艦リーンより、司令部へ。我、敵の航空母艦を発見せり。詳細は不明なれど敵の艦籍は霧城連邦なり。艦隊上空には、航空機を見ゆ』
 それを伝え終えたとき、艦橋の中に悲鳴のような声が響き渡った。
「敵機直上。急降下!!」
「急速回頭、面舵一杯」
 すぐに回避運動の命令を下すと、通信員に更に司令部に通信を送るように伝える。
「司令部へ打電。『我、敵艦載機部隊の攻撃をうく。敵艦隊は、空母三隻以上、戦艦二隻以上を含む大艦隊なり、司令部は十分警戒されたし。繰り返す、敵は空母三隻以上を含む大艦隊なり。司令部は十分警戒され……』」
 そこまで言って、艦長の言葉は流星が投下した爆弾によって遮られてしまった。続いて投下された爆弾が艦長の口を永久に塞いだのである。
 

 1944年7月10日 海軍司令部
 
「哨戒中の駆逐艦より報告。空母三隻、戦艦二隻を含む艦隊を発見したとのことです」
「うむ、望むところだ。基地総司令部にこれを報告し、空軍に支援を要請しろ。各空母に打電、攻撃隊を発艦準備させよ」
 更迭された前司令官に代わって就任したレイダー・リッチェンハルト大将は、駆逐艦からの報告から敵が主力機動部隊であると判断し、それを向かい打つべく出撃を下命した。
「空軍より入電。『我が偵察機部隊が敵艦隊を発見せり。敵の規模は、空母十隻以上、戦艦四隻以上を含み、百隻以上の補助艦艇を従えた大艦隊なり。我が空軍もこれを支援するものなり』です」
 彼我の戦力は、海軍単体では圧倒的に不利であった。そこに、空軍の支援が加わることでなんとか均衡が保てるというような戦力である。空軍にはジェット機が多数含まれており、それが少数であってもレシプロ機を相手取るには頼もしい友軍であった。量産なった双発ジェット戦闘機のほか、単発ジェット機、ジェットエンジンを搭載した攻撃機も実戦投入されていたのである。
 海軍は、これに比べればいまだにレシプロ機しか装備しておらず、ジェット機は試作段階にも行っていなかったが、エンジン故障で不時着した烈風を解析し、それを元に開発した新型エンジンを搭載した艦載機は格段に性能向上を果たしていた。
 機動部隊の編成も、戦艦を艦隊決戦用から空母護衛に割き、なんとしても空母を守り抜く編成であった。
「総員、第一級戦闘配備。対潜、対空警戒を怠るな。第一次攻撃隊が発艦し終わり次第、直掩機を順次発艦させよ」
 レイダー大将の命令のもと、各空母から合わせて百機を大きく上回る艦載機が発艦していった。
 
 これはセレバンテス帝国の至上類を見ない一大決戦の幕開けであった。そして、セレバンテス帝国の経験する最後の大会戦にもなるものであったがこのときは誰も知る由もなかった。
 
 
☆


 1944年7月10日 1000 霧城連邦海軍 第113戦闘機中隊
「南西方向に敵機発見! 300機以上」
「直掩機隊は、急行せよ」
「敵は、新型戦闘機を含む模様」
 空を飛ぶ直掩機である疾風に次々と通信が入っていた。
「諸君、そのときが来た。今までの訓練の成果を試すときが来たのである。戦闘態勢に入れ」
 直掩隊指揮官から通信が入り、各戦闘機隊は一気に上昇を始めた。敵機の頭上を取るためである。何十機もの疾風が、太陽を背にするように敵部隊へ迫っていった。
「中隊長より各小隊へ、急降下!」
 第113戦闘機中隊、すみれ大尉から小隊に命令が下った。敵攻撃隊を眼下に降下を開始した。
 各小隊は、太陽を背に、敵機の頭上に機関砲を浴びせかけた。機関砲弾をまともに受けた敵戦闘機が四散し、ある機は翼がもげ、ある機はコックピットの防弾ガラスを貫通してパイロットを殺傷した。その勢いのまま、中隊は敵攻撃隊を上から下に突っ切る。途中、すれ違いざまに敵機が機銃弾を浴びせかけてくるが、それをものともせずに高速で攻撃隊の下に潜り込むと、反転急上昇して再び敵攻撃隊を襲う。
 そして、各小隊が数機の敵機を血祭りに挙げて再び攻撃隊の上空へと躍り出る。その頃には、敵攻撃隊は攻撃機と爆撃機を退避させ、制空隊が散開して味方部隊に襲い掛かっていた。
「すごい数ですね。こんなに多くて大丈夫かなぁ……」
 レベッカ少尉が心配そうに話しかける。しかし、そんなことを言いながら手は操縦桿を握り、迫り来る敵機を見失わないで見ている様はさすがエースというべきか。
「レベッカはそんなこと心配しなくたっていいんだよ。相手から獲物になってくれるんだ、撃墜スコアを稼ごう」
「あ、うん。分かった!」
 イシュタル中尉は、手で合図すると機体を横転させて再びダイブに入った。レベッカ少尉も負けじと後ろからついていく。周囲を敵機が乱舞する中イシュタル中尉は口を開いた。
「レベッカ。あなたは、あんまり無理しないでね。何かあったら守ってあげるから。レベッカは、ただ私の後ろをついて来ているだけで良いさ。……前みたいな事態はもう真っ平だからね」
 途中で一度言葉を切り、そっと小さな声で言った。いつもなら、大丈夫だと言うところであったがこのときばかりはうんと一言頷くだけにしておくことにした。
「さぁ、行くよ!」
 戦闘機の厚い雲を突っ切ると、眼下に逃げ遅れた子羊のような敵攻撃機が2機飛んでいた。イシュタル中尉は、レベッカに短く通信を送ってスピードを上げながら迫り行く。敵機は、後部に装備した機銃で攻撃してくるがイシュタル中尉とレベッカは鮮やかな機体さばきでこれを回避し、更に距離を詰める。
 そして、機関砲の照準の中に収まったとき、イシュタル中尉は引き金を引き絞った。それとほぼ同時に疾風の主翼内に搭載された20mm機関砲から炸裂弾が無数に発射される。それら機関砲弾は、敵機と糸で繋がっているように吸い寄せられ敵攻撃機の後部座席付近に命中した。
 20mm弾の破片により、コックピットの防弾ガラスにひびが入り、ついで命中した20mm弾が防弾ガラスを突き破り、後部座席に座っていたパイロットを殺傷した。そして、後続のレベッカの疾風から放たれた20mm弾で主翼のフラップが破損し、横転して錐もみ状態になって海面へ真っ逆さまに墜落して行ったのである。
 もう1機の敵機は、遼機が撃墜されている間に旋回して逃走を図っていた。
 イシュタル中尉は、即座に機体を旋回させてそれを追うが、彼女からではかなりの急旋回をしなくては行かなく、それでは速度が大きく落ちてしまう可能性があった。その時、イシュタルにレベッカから通信が入ったのである。
「私が敵機を下から狙います。だから、援護をお願いしますっ」
 レベッカは、機体を横転させつつ降下して敵機の背面に回りこむ。こうなっては、後部機銃は使えない。そこにレベッカは20mm弾を撃ち込んだ。敵機は、くぐもった音を立てて煙を噴出したと思った直後、爆発を起こして墜落していった。
「上出来よ、レベッカ。私も負けてられないわね」
「はいっ」
 レベッカは、元気よく返事をするとイシュタル中尉に続いて上昇を始めた。

「右舷110度方向から雷撃機3」
「直上、急降下」
「左舷280度方向から雷跡1」
 何十機もの疾風が空を警戒しいたというのに、第一機動艦隊上空には、尚多数の敵機が攻撃を仕掛けてきていた。性能差で勝てないと判断したセレバンテスは、機動部隊の中で距離的に一番突出している状況になっている第一機動艦隊を集中攻撃したのである。
 霧城連邦は、航空機の迎撃と航空隊の誘引を目的として戦艦部隊を前方に突出させていたのであるが、指揮官は航空隊に戦艦部隊は避けて通るように指示し、航空隊の指揮官たちも内心戦艦を攻撃したい気持ちを抑えつつ空母に攻撃を仕掛けていたのであった。
 それが今、功を奏したのである。先の海戦の恨みを晴らすかのように空母を中心に攻撃を敢行し、巡洋艦、駆逐艦、空母の搭載対空火器が作る弾幕の網を潜り抜けて雷爆撃を加えていた。
 空母では赤城が飛行甲板上に500キログラム爆弾を3、右舷側に魚雷2、左舷に魚雷1を食らい、濛々(もうもう)と黒煙と炎を上げて使用できるすべての対空火器を使って迫り来る敵機と格闘していた。敵機は、その対空砲火を嘲笑うかのように攻撃位置まで侵入し、雷撃や爆撃を敢行する。中には、弾幕に絡め取られ、海面へと機首を向けて墜落していく機体や爆散する機体もあったが、煙の中をさらに新手が現れ、機銃主の精神力を確実に削いでいったのである。
「艦長、艦内の航空機用弾薬庫の近くで火災が発生しました。ただ今、ダメコン班を向かわせていますが手に負えない状態です」
 水兵服の各所を煤で黒く染めた水兵が息も絶えだえに報告する。
「近辺の隔壁を閉鎖しろ。それでもだめなら現場の判断で注水も許可する」
 艦長が水兵に指示し、彼が現場に帰っていくと違う場所から声が上がる。
「左舷から敵機が迫っているぞ、もっと弾幕を集中させろ」
「左舷3番機銃が破損しました」
「右舷4番高角砲も使用不能だ」
 艦橋内は、絶えず声が飛び交い、声が止むことはなかった。
「おい、甲板要員。疾風だ。不時着だ。救助準備をなせ!」
 声の中でも一際大きな声が飛び、それぞれに作業をしていた下士官や将校たちが一瞬作業をやめ、声を発した主に視線を向け、次いで彼の指差す方向へと視線を向けた。
「消火ホースを出せ。もうすぐ来るぞ」
 彼の指差した方向には、機体から煙を噴出させた疾風が一機、右に左に上に下にと蛇行飛行しながら足も出さずにこちらに向かってきたのである。甲板要員は、敵機の機銃掃射や流れ弾が飛び交う外に飛び出し、ホースや救命道具を持って着艦してくるのを目で追った。
 その疾風は、機体内部からの小爆発を繰り返し、その度に火花を伴った煙を噴き出し、着艦を見守る水兵たちは無事に着艦することを祈った。
 ついに、疾風が飛行甲板上に差し掛かった。普段ならば足を出して着陸するところをそれもださずに、速度も高速のまま、飛行甲板に突っ込むように胴体着陸してきたのである。機体の腹が甲板上を擦り、何度もリバウンドし、機体の破片を周囲へ飛び散らせる。
 機体は、赤城をやや斜めに進入し、右舷の端に機体の半分をはみ出した所でぎりぎり停止した。すかさず、周囲に待機していた水兵が火災を消火しようとホースで放水し、ほかの水兵が機体に上り、バールを片手に変形したコックピットをこじ開けようとする。
「よし、今助け出すからな」
 バールでコックピットをこじ開けた水兵が、パイロットを引きずり出して機体から離れた甲板上に横たえた。
「敵機だ。急降下してくるぞ」
 敵戦闘機が切っ先をこちらに向け、今まさに機銃弾を発射しようとしていた。敵機を見て、水兵たちは恐怖した。生身の人間にとって20mm弾でなくとも機銃弾をまともに受けるということは死を意味するからである。
 負傷者をできるだけ離そうと水兵は努力したが、神は無慈悲であった。水兵の努力もむなしく、負傷者は機銃弾を側面から受け、命を奪われてしまったのである。
 だが、これは敵味方、否、どちらも相手は敵であるが、数々の命が失われていったのであった。
 空からは、弾幕に絡め取られた航空機が錐揉みで墜落してきていて、甲板上では負傷した水兵が救助を求む唸り声を上げていた。ふと隣を見れば、駆逐艦が雷撃によって艦を真っ二つに分断させられ、あっという間に轟沈していくのが見えた。
 
 この後も二回にわたる攻撃にさらされた第一機動艦隊は、空母では赤城、緑鶴、龍鶴が轟沈、大鳳は当初は形を保ちながら対空戦闘を行っていたが火災とガソリン漏れによって引き起こされた大爆発により、瞬く間に海のそこへと沈んでいってしまったのである。
 ほかにも、紅鶴が大破、青鶴が中波の被害を受けた。補助艦艇も20隻以上が撃沈、または戦闘能力を喪失して戦線を離脱していた。
 第一機動艦隊のほかの艦隊も各艦隊、3隻程度の空母を喪失していたのであった。それほど、航空機による攻撃が苛烈であったのである。
 機動部隊に大きな損害を受けたことを重く受け止めた艦隊司令部は、前進していた戦艦部隊を呼び戻し、更なる航空攻撃に対応するため機動部隊の周辺に配置することを決定した。その指令は、すぐさま戦艦部隊の司令官に伝達され、第一戦艦部隊が第一機動艦隊に、第二戦艦部隊が第二機動艦隊に付く形で後退して来た。
 また、機動艦隊同士も互いの距離を詰めて互いの防空能力を高めることで、更なる被害を抑えようと対策を講じた。
 ルヴィアゼリッタ合衆国海軍の機動部隊は、機動部隊を合流させることで防空能力を増すことにしたのであった。
 緒戦において多大な被害を受けてしまった機動部隊であるが、彼らも二派に渡る攻撃隊を派遣していた。艦載機は、艦上戦闘機を烈風から疾風に、艦上攻撃機と艦上爆撃機は流星の一種に完全に移行していたのである。艦上偵察機として、機上レーダーを搭載した新型偵察機の彩雲を運用し、目標である機動部隊を的確に見つけ出して急行した。
 しかし、その攻撃隊にも悲劇が襲い掛かろうとしていた。
 

☆


 同日 1300 空母翔鶴の艦内
 
 すみれたち中隊のメンバーは、三度に上る敵の迎撃のうち二度出撃し、合計50機以上を撃墜してエース部隊として名に恥じない戦果を挙げていたが、疲労も許容範囲いっぱいであった。メンバーは皆、自室でベッドに横になり、ベッドから出ていたとしてもコーヒーを飲んで口をあけるのも億劫という風に誰も一切言葉を発していなかった。
 その静寂を打ち破るように、そっとレベッカが口を開いた。
「あ、そうだ。イシュタル中尉、ラジオを聞きませんか?」
 だが、疲労困ぱいなイシュタルは、コーヒーを口にしながらただ前を見つめていた。向かい合って座っていたレベッカは、身を乗り出してイシュタルの顔を覗き込んでもう一度同じことを言う。
「あのぉ、ラジオを聞きませんか?」
「……あ、うん? ラジオ?」
「うんっ。今の時間ならあの歌番組がやる時間ですよね…?。イシュタル中尉、いつも聞いていたのでそれで気分が落ち着けばなって…」
 消え行くような声でレベッカが言った。
「そ…、そうだったわね。ありがとう。じゃあ、ラジオでも聞きましょう」
「うん♪」
 レベッカは、仕舞ってあったラジオを取り出すと、イシュタルの隣に移動してラジオをテーブルに置く。そして、スイッチを入れてチャンネルのつまみを合わせる。すると、スピーカーからゆったりとしたメロディーが流れ始める。女性が甘い歌声で歌詞を紡ぎだし、オーケストラが深い味のあるゆったりとした伴奏で女性歌手を引き立てていた。
「一度は、彼女の歌を生で聴きたいもんだね」
 イシュタルがそう呟くと、音楽に聞き耳を立てていたレベッカがきゅいっと振り返って頷いた。
「は、はい。そうですねっ」
 その反応を見たイシュタルは、クスッと小さく笑った。
「もぅ、なんですかぁ。笑わないでくださいぃ」
「ぶ…あ、あははは。レベッカは、いつも変わらないね」
「は、はひ?」
 ぽかんと、首を傾げたまま静止してイシュタルを見つめる。そのレベッカの頭をイシュタルはそっと撫でてやった。
「ラジオを聴くのも良いけれど、レベッカと話しているのも癒されて良いよ。レベッカは、やっぱりレベッカだ」
 レベッカは、ぽか〜んとしたまま石像のようにイシュタルを見つめていたが、はっとその言葉の意味を察すると「そんなことないよ…」とぼそりと呟き、頬を朱に染めて下に視線を向けた。
 二人は、無口で歌が終わるまで聞き入っていた。そして、歌が終わって何秒か経ったとき。
「私、一生懸命頑張ったのに。味方を守れませんでした……」
 と、レベッカが呟いた。イシュタルは、柔らかい笑みを浮かべてそっと頭を撫でると諭すように語り始める。
「ねぇ、レベッカ。私だってね、いつもそう思うさ。ヴァルキリー、戦乙女と私たちは言われているけれど、所詮私たちだってただの人間なのさ。頑張るのが無駄だとは言わないけれど、だからと言ってすべてが守れると思ったらそれは驕(おご)りだよ? レベッカ、あなたは精一杯頑張った。それで良いじゃないか。仲間が死んでしまったパイロットや水兵は、あなたに文句を言うかもしれない。でも、あたしはレベッカを責めたりはしない。だから、そんな事言わないで。レベッカがそんな事を言うと私まで悲しくなっちゃうじゃないか」
 レベッカは、頷いて無言のまま体を摺り寄せ、イシュタルは彼女の頭を撫で続けた。


☆


 同日 1400 第一機動艦隊旗艦 天城 艦隊司令部
 
「なに、攻撃機が全滅だと」
 日中の一番気温が上がった頃、今日の第一機動艦隊に最後の攻撃隊が帰還してきた。しかし、機数は驚くほど少なかった。味方の空母が沈んでいて収容できる機体が限られているとは言ってもその数は少なすぎた。戦闘機は、まだ残っていたが、攻撃機は両手で数えられるほどにしか残っていないようだった。
「敵艦隊を攻撃中、敵噴進式戦闘機を含む敵航空部隊の迎撃に遭ったそうです」
「噴進式戦闘機は、航続距離が短いのだからそんな事はないのではないか?」
 ジェット機は、速度がレシプロ機に格段に早いのではあるが、その代わりに航続距離が極端に短かった。そのため、ジェット機による迎撃は予想していなかったのである。
「はい。ですが、敵機動部隊は、空軍の支援を良く受けるために陸上航空基地に近づいていたそうです。そのためではないかと」
「だが、それにしてもだ。我々の疾風は何をやっていたのだ。敵の迎撃を予想して、攻撃隊の半分は戦闘機で固めていたはずだろう。それに、第三次攻撃隊には、噴進式戦闘機と戦った経験のあるパイロットは多いはずだ」
「敵は、レギーナの新型のようです」
「うむ…」
 彼らは、まだ知る由もなかったが、運が悪いことにこの日、セレバンテスの新ジェット機部隊が練成を終えて派遣されていたのであった。空軍が要するジェット機部隊は数百機に登ったが、海軍部隊の攻撃のため割り振られた機数は50機に満たない少数のジェット機部隊であったが、空軍のジェット戦闘機の支援が得られない海軍機動部隊には、かなりの脅威であった。
 ジェット機側は、自分が不得意な旋回戦に持ち込まれでもしなければ、高速飛行中はまず負けることはありえない。ジェット機が撃墜されることがあるとすれば、離着陸時の低速時や不用意な急旋回を行い速度を失うか、高度を失っているか、その両方のときだけである。
 レシプロ機側も、ジェット機の高速を利用した一撃離脱戦に惑わされずに攻撃をよけていれば撃墜されることはない。だが、それは撃墜されないだけであって、相手を撃墜することもできないのである。レシプロ機は、ジェット機側がミスを起こさない限り自らのみを守ることしかできないのである。
 しかし、これは、レシプロ戦闘機の場合である。流星など魚雷や爆弾を背負った攻撃機は、急な機動ができないため、ジェット機の突然の攻撃をよけることは至難な業である。普段なら、自分を守ってくれるはずの戦闘機隊は、ジェット機から逃げ回ることで精一杯で、なおさら敵の攻撃をよけることは難しく、不可能に近いものがある。
 しかも、このときの敵ジェット戦闘機隊は、練度が非常に高く、急旋回や高度を落としてレシプロ機のカモになるような愚を犯すパイロットはほとんどいなかったのである。それも、敵は新型と来た。このことが被害に拍車をかけ、攻撃隊の全滅を招く結果となってしまったのであった。
 善波大将は、何であるかは分からなかったが背中からぞくっと来るような悪寒を感じた。
 
 
 空の太陽が次第に水平線へと落ちていって橙色に空が染まり始めたとき、善波大将が恐れていたことが現実になろうとしていた。機動艦隊の一番外側に位置するピケット艦である駆逐艦から、敵攻撃隊を発見したと報告があがってきたのである。
 間の悪いことに空にいた直掩機隊がちょうど交代の時期であり、空母の飛行甲板上は着艦した攻撃隊の収容で忙しい状況だった。
 しかも、さらに悪いことに敵機の接近速度から推測して、レシプロ機ではなくジェット機部隊である事がわかった。
 それを聞いた善波大将は、交代した直掩機とまだ燃料に余裕のある機体を即座に迎撃に向かわせることを指示した。また、待機中の戦闘機の発艦を急がせ、艦上で収納中の攻撃隊を飛行甲板の後方に移して、前部昇降機から整備の済んでいた疾風を上げて増派の直掩機として発艦を急がせることを急ぎ命令した。
 これにより、あわただしかった甲板上は更に混乱の度合いを増し、甲板上を水兵が右往左往しながら機体を移動させていった。その帰還した攻撃機の代わりに、艦内から疾風が甲板上に上げられ、油圧カタパルトで発艦して行った。
 
「総隊長機より、各小隊へ。散開し、敵戦闘機隊を撃滅せよ。爆撃機の通る道を開けるんだ」
 総隊長は、新型のRe-162『シュヴェーアトヴァル(シャチの意)』ジェット戦闘機に乗り、部下へと指示を出した。
 この指示に、20機のRe-162はそれぞれの小隊ごとに散開して空中戦等に入っていった。
 ちなみにRe-162は、先のジェット戦闘機とは違い、二手に分かれた尾翼を装備し、生産性の向上のため推力950kgのジェットエンジンを機体の上部につけていた。エンジンの取り付け位置のため、生産性があがったばかりかエンジンの整備やエンジンの交換もしやすくなったのである。
 初期設計案では、生産性をさらに向上させるため、フラップを手動に、主脚を他の戦闘機からそのまま流用、機体の大部分を木材で製作するという非常識極まりない案が出されていたが、これは却下されていた。さすがの総統もこれでは有効な戦力となり得ないと考えていたのであった。
 紆余曲折を経て今でこそ高性能機として仕上がっているRe-162であるが、初期の機体はとても常人に操縦できる代物ではなく、ジェット機を操っていたエースでさえも乗るのを嫌がったというほどの操縦性の悪さであった。生産性の向上を優先させた罠がここにあったのである。
 この報告を得た総統は、すぐさま改修を指示、操縦系統に非常に原始的ではあるが機械式制御装置を取り付け、操縦性の悪さを解消したのであった。それでも、新米が乗るには癖の強い機体であった。
 しかし、最高速度は時速900キロメートルに迫る勢いで、運動性は双発ジェット機を大きく上回るもので、エースが操ればレシプロ戦闘機をも上回る運動能力を発揮したのである。これに気を良くした総統は最優先での生産を指示していた。
 彼らのRe-162は、その中でも最新の型で全長を少し延ばし、主翼に後退角をつけ、両翼に増加燃料タンクを備え付けられる機体である。Re-162の中でも、洋上の中を航行する機動部隊を攻撃できるほどの航続距離を持つ機体はこの型だけであった。
「ケスラー、俺たちの腕を猿どもに思い知らせてやれ!」
「了解」
 総隊長は、機体を横転させると猛然と敵戦闘機に向かって突進していった。ケスラーのRe-162も後についてこれを追う。
「墜ちやがれ、この野郎」
 トリガーを引き絞ると機首に搭載された二基の20mm機関砲が曳航弾と共に弾丸を発射し、敵機に次々と突き刺さっていった。さしもの疾風も超高速で迫り来るRe-162を避けることはできず、ケスラーの止めの射撃で撃墜されたのであった。
「やりました、一機撃墜です!!」
「ケスラー、敵は良い具合に混乱しているぞ」
 そう言いながらも目の前に捉えた敵機に向かって20mm弾を撃ち込み、早くも2機目のスコアを上げていた。 今まで捕食者だった疾風が被食者に成り下がった瞬間であった。だが、シャチは、まだ食欲が旺盛で更なる獲物を仕留めようと視線を上下左右に振っていた。
「隊長、後方に敵機です」
「よっしゃ、了解」
 総隊長は、後方からの射撃を予想し、機体を僅かに上方へと向けた。彼の思惑通り、疾風の放った20mm弾がRe-162の直ぐ下を通り過ぎ、光線を描いていた。
「俺を撃ち落そうなんて思う奴には、きっちり教育してやらんとな」
 総隊長は、操縦桿を力強く引くと、機体を一瞬反らせたのである。それに一瞬対応の遅れた疾風がRe-162を追い越して無防備な機体上部をこちらにさらした。
「あばよっ」
 機体の角度をすぐに直して猛然と敵機へと近づいていき、お見舞いの20mm弾を撃ち込んだ。20mm弾は疾風の装甲板をささくれ立たせ、致命傷の傷を与えた。
 もうそれ以上攻撃するのは弾の無駄だと判断した総隊長は、ケスラーに指示して高度を回復するべく上昇姿勢へと転じさせた。それを追おうとする疾風が度々後方を取るが、優にに100q以上の速度差を埋められるわけもなく、置いてけぼりにされるのみであった。
 Re-162が一航過、一撃離脱での攻撃を一度行い終えたときには疾風の機数は驚くほど減っていた。直掩機が少ないときの攻撃で、各個撃破されてしまう形になったとはいえ、機数の減り方は異常であった。
「これなら、敵もさぞかし怖がってるだろうな。ならば、もっと震え上がらせてやろう」
 総隊長のRe-162は、再び一撃離脱攻撃を仕掛けようと機体を降下体勢に入らせた。
 

 第一機動艦隊は、Re-162の襲撃で、大変な混乱に見舞われていた。急ぎで発艦した疾風も優速のRe-162に惑わされ、未知の機体という事で統制が整う間も与えられぬまま、撃墜されていってしまった、艦隊上空を通り過ぎるRe-162に各艦も猛烈な対空砲火を上げ、一機でも数を減らそうと努力していたが、レーダーからの情報を得ているとはいえ、兵士たちの手動での砲火では限界があった。
 艦隊司令部は、被害が比較的軽い第二機動艦隊に救援要請を行い、ルヴィアゼリッタの機動部隊にも戦闘機の派遣を要請していた。どちらの部隊も自らの空を守らねばならないから多くは派遣できない状態であった。
 しかし、ここで機動部隊のひとつが壊滅するということになっては、これからの作戦行動に多大な影響が出ると判断し、合わせて100機以上の戦闘機を派遣してもらえることになったのである。
 だが、この部隊が到着するにはどんなに急いでも30分以上かかる状況であった。直掩機隊のパイロット達にとって、この時間は途方もない時間のように感じられた。
 この中に、第113戦闘機中隊のメンバーもいた。彼女らの機体はどの疾風よりも損傷具合が軽く、彼女ら自身の希望もあって迎撃機の増派に当てられていたのである。
「各小隊、不用意に攻撃は仕掛けないように。敵は高速だが旋回性能では劣るから自分たちを複葉機だと思いなさい。敵がぼろを出したところを狙うのよ」
 なんとか高高度へ上がってきていたが、彼女らエースでもそれが精一杯であった。
 すみれもすぐにでも攻撃を仕掛けたいのは山々である。だが、ジェット機との交戦経験がまだ少ないため、敵の一撃離脱に乗れば逆に手玉に取られる危険性があった。ここは、増援の戦闘機隊を待ち、数の力を持って敵を追い返すしかなかった。
「生きた心地がしませんね……」
 レベッカがイシュタル中尉に話しかける。
「あぁ、疾風が持ち前の速度を殺されて、ただ逃げるしかないなんてな」
 それでも、攻撃を仕掛けてくるRe-162をすんでのところで避け、敵機の背中を見れば20mm弾を撃ち込むということを繰り返していた。回避機動を中心に取りながらも2機のRe-162を撃墜し、増援を待っていた。
「あ、イシュタル中尉、上空を見てください」
 レベッカの言葉に促され、上空へと視線を向けたイシュタルに映ったのは四発の爆撃機の群れであった。
「敵は、戦闘機をひきつけている間に艦隊を攻撃する気なのか。でも、四発の大型機であんな高高度じゃ爆撃しても命中しないだろう。……敵は何を考えているんだ」
「前方10時方向から敵機!! イシュタル中尉、避けてくださいっ」
 イシュタルは、猛然と迫ってくるRe-162を見た。すぐに操縦桿を倒して旋回したくなる気持ちを必死で抑え、十分距離をひきつけるまで待った。目をかっと開き瞬きもせずにRe-162の接近を見、ぐんぐんと迫ってきたRe-162の機首機関砲が太陽の光を反射してぱっと光ったように見えた瞬間、操縦桿を大きく右に大きく倒した。
「いま!!」
 Re-162から20mm弾がイシュタルに向けて放たれる。火線が何条も伸び、命中弾もあるようで彼女の疾風をぶるっと震わせた。幸いにして致命傷はなく旋回を続けながらRe-162を目で追う。目と鼻の先まで接近したとき敵のパイロットが一瞬見え、相手と目が合った。Re-162のパイロットは笑っていた。圧倒的不利な立場に立たされている自分たちを嘲っているようであった。
 間一髪、墜落を避けられたイシュタルが夕日に染められた海上に目を移すと、そこには疾風が一機上昇体勢に入っていた。
「ジュリア中尉、上空より敵機!! すぐに避けてくださ……」
 ジュリアの疾風は、イシュタルが言う前に機体を横転させて旋回を始めていたが、ちょうどコックピットの側面ガラスが見えたとき吹っ飛んだのである。プロペラとシャフトで繋がっているエンジンが。
 機首部を失った疾風は、まだ姿勢を保っていた。右翼の先端10センチほどが20mm弾の直撃でもぎ取られ、尾翼も穴が開いていたがエースとしての彼女の腕がかろうじて姿勢を保っていたのである。だが。
「更に2機着ます!」
 レベッカの悲鳴のような通信がイシュタルの元にも入ってきた。反射的に機体を反らせるとすぐそばを2機のRe-162が通り過ぎ、眼下のジュリアの疾風に向かって迫っていった。
「ジュリア中尉、早く脱出してください。私が援護します」
 同小隊のブリギットが水平方向からRe-162に向けて銃撃を加える。
「ブリギット少尉、だめあなたの後ろにも付いているわ!」
「なっ……」
「ブリギット少尉、避けてぇ」
 レベッカが思い切り叫ぶが、その叫びは最後まで彼女に届くことはなかった。背後を取ったRe-162から放たれた20mm弾が胴体部に命中し、ブリギットへも20mm弾を浴びせたのである。せめてもの救いは、彼女が痛みを感じる前に昇天したことであろうか。
 透明なガラスを夕日よりも赤い色が覆いつくし、コックピットの中を外から隠した。それはまるで、無様な最後を見られたくないと主張しているようでもあった。
「だめぇ、このままじゃジュリア中尉までっ。私、行きますっ」
「行くな。レベッカは編隊を崩さないで飛ぶのよ」
「でも」
「行くなと言っているでしょう。私の命令が聞けないの」
 自分の心を杭で引きとめ、感情を殺してレベッカに命令を伝えた。レベッカは、『で…、了解です』と言って押し黙った。
「私だって救いに行きたいわ。だけど、今行ったら敵の餌食になるだけなの。むざむざやられるなんてそれこそ愚策よ」
 イシュタルは、血が滴るのも気にしないで唇を強くかみ締めた。『唇を噛み切るくらいで助かるなら噛み切ってやるわ』そう思いながら更に強く唇をかみ締めながら操縦桿を倒して迫ってきていたRe-162を避けた。
「じゅ、ジュリアが、ジュリア中尉がぁぁぁ」
 ジュリアが最期に見たもの、それは朱に染まった海面であった。
「くっ……」
 唇から垂れた血が胸元に赤いシミを作り始めていたとき、目の前でシンバルをたたかれたような空気の揺れと音にイシュタルが眼下に視線を落とすと、大きく裂けた甲板からもうもうと黒煙を噴き上げて海面を漂う青鶴が映った。
 ありえない、そんなことありえるはずはない。そうイシュタルは思った。Re-162で爆弾を搭載していた機体を見逃していたのだろうか。否、そんな機体はなかったはずだ。そうなると……。
 イシュタルは、遥か上空を飛ぶ重爆撃機へと視線を移した。重爆撃機は、四発のエンジンで飛行機雲を描きながら上空を旋回しており、爆弾層を開いて爆弾を投下している機体も見受けられた。どれもまっすぐ下に向かって落ちていく通常爆弾でそれを常に動いている空母に命中させるなど至難の業で、けん制以外の効果はないはずだった。
 だが、その中で一機の投下した爆弾は他と違っていた。爆弾というよりは、ロケット戦闘機のようであり細い長い弾体に主翼と尾翼を装着し、降下しながら微妙に向きを制御していた。
 
 
「上方10時の方向から高速の飛翔体が接近。ロケット弾と思われます」
「面舵いっぱい。ロケット弾を回避させよ」
 天城の艦長は、迫ってくるロケット弾キッと見つめながら操舵主に転舵を命令した。先に青鶴に命中させたのもあのロケット弾であろうと艦長は思った。
「左舷の対空火器はロケット弾を全力で迎撃せよ。あれを命中させてはならぬ」
 ロケット弾といえば、無誘導でただ真っ直ぐに進むだけのもので距離が離れていれば回避はそれほど難しくないと思っていたが、艦長の声にただならぬものを感じRe-162への射撃を中止して皆ロケット弾に向かって砲弾と銃弾の雨を浴びせかけた。
 誰もロケット弾の正体について知らなかったが、このロケット弾はセレバンテスが新しく投入した赤外線誘導爆弾であった。爆撃機から投下されるときに目標の位置を入力され、それ以後は目標から発せられる赤外線を追尾して目標に命中させるというものである。
 ちなみに、赤外線といえば熱のある物体から発せられるが、艦船で赤外線が一番良く出る所といえば煙突である。この赤外線誘導装置は、航空機などの赤外線を捉えられるほど精密ではなかったが艦船の煙突から出る赤外線は余裕で探知することができた。
 爆薬は、1000キロ爆弾と同じだけ入っており、超高速で命中すれば戦艦の側面装甲であっても貫けるものである。これでは、命中されたらひとたまりもないであろう。
 対空砲火のシャワーを浴びつつ、その中を高速で潜り抜けてくるロケット弾は尾翼と主翼で進行方向を常に修正し、舵を切り続ける天城を側面から攻撃する姿勢を保ち続けた。
 ロケット弾は、見る見る距離を縮めてついに目と鼻の先まで接近してきた。
「総員、衝撃に備えろ。何かにしがみつくか突起をつかめ」
 艦長も艦隊の総指揮を取る司令官も自分の椅子をしっかり握り締め、時速1000キロにも達するロケット弾に備えた。
 ロケット弾が命中した瞬間、今までに体験したことのない大きな揺れが将兵たちを襲い、艦を大きく震わせた。次いで、命中した箇所から流入した海水により、左舷側に艦が大きく傾いたのである。
「右舷に緊急注水をしろ、平衡を保つんだ」
「か、艦長。さらにもう一つ、来ます!!」
「なにぃ!」
 艦長は叫ぶような尋ねるようなどっちともつかない声を上げ、部下に命令した。
「何が何でも二発目は撃ち落とせ。死んでも撃ち落とすんだ」
 艦が傾いたことにより、左舷側の対空火器もロケット弾を迎撃できるようなっていて両舷の使用可能な対空火器は総出でシャワーを浴びせた。
 しかし、それをあざ笑うかのようにロケット弾は接近し、艦首やや後方へ命中した。
 艦首付近にあった機銃は、兵士ごと海へと吹き飛ばされ、衝撃で甲板上にいた将兵も海へと投げ飛ばされてしまった。それだけでは被害は終わらず、1000キログラムに及ぶ爆薬は艦首部分をそっくりそのまま削り取っていってしまい、そこから先の傷よりも大量の海水が流入した。
 鈍い鋼鉄のきしむ音とともに艦がさらに傾斜を増し、何かに掴まっていないと立つこともできないくらいになってしまった。 右舷側には何百トンという海水が注入され、平衡を保とうと必死の作業が続いていたが、流入する海水はあっさりとその量を凌駕した。ついには、注入できる最大量よりも多く左舷に海水が流入し、これ以上平衡を保つことは不可能になりつつあった。
 艦長は、注入でき得る限りのすべての区画に注入することを命じたが、時はすでに遅かった。普段は見えるはずのない赤い艦のお腹が海上へと顔を出し、艦はほとんど横倒しになっている状態だったのである。
 ここにきて、これ以上の処置は無駄だと判断した艦長は総員退艦命令を出した。艦内には、非常ブザーが鳴り響き、命からがら艦上に出てこられた将兵は次々に海へと飛び込んで行った。あまりにも傾斜する速度が速すぎて、救命ボートを下ろす暇もなかったのである。
 艦長たちも部下に渡された救命胴衣を身に着け、波打つ海上へと飛び込んで行った。
 飛び込んだ際の打ち所が悪くて死んでしまう将兵も少数いたが、外に出られただけまだましであった。機関部にいた者など深い場所にいた者は脱出することすらできずに艦の共に海面へと引きずり込まれる運命をたどるしかなかった。
 また、ロケット弾の命中した場所近くにいた将兵は、艦内へと吸い込まれる海水の流れに、逆らえずに吸い込まれて行ってしまったのである。
 天城は、たった二発のロケット弾によって沈没の憂き目に会い、助かった兵士は全体の1割にも満たなかった。
 青鶴は、一発目の命中弾によって発生した火災が仇となり、それに引き寄せられた誘導爆弾が2発命中してこちらも将兵の半数以上を艦と共に失ってしまったのである。
 セレバンテス帝国空軍と海軍の総力を結集した攻撃に、さしもの連合海軍も多大な損害を受けてしまった。だが、この戦いは両軍の苛烈な戦いの始まりにしか過ぎなかった。

 
☆


 同日 2000 ハイガーフォン方面軍司令部
 
 司令部では、各軍からの報告が相次ぎ、それらをまとめて分析するだけでも手一杯であった。
「空軍司令部から入電。海軍機動部隊との共同攻撃により、敵機動部隊に大打撃を与えることに成功したそうです」
総司令官であるヴァルター・フォン・ルートディッヒ元帥は、部下からの報告を受け取った。
「ふむ、これで海軍の脅威は幾分減ったな。陸上戦闘はどんな情勢だ」
「はい、先ほど、要塞の南に位置するラインハイトで抵抗を続けていた第15師団が壊滅して後退したとのことです」
「第4機甲師団はどうした。救援に向かうように指示したはずではないか」
 要塞への補給線は全てで九つあったが、ラインハイトはその補給線の最後の一つだった。ここを守る第15師団が後退したということは、全ての補給線が閉じ、完全に孤立してしまうということであった。
「それなのですが、航空攻撃で多数の戦車を失い、やむを得ず後退したとのことで……」
「空軍機はどうした!」
「空軍は、海軍機動部隊への攻撃にジェット機を振り向けていたことで若干ですが陸軍の支援が薄くなっていたと報告がありました」
「くそっ!!」
 ルートディッヒ元帥は、ドンッと音を立てて執務机を勢いよく殴った。
 事前の予想から敵のほうが優勢であることは確実にわかっていた。だが、それでも現実として押されている状況を直視することはできなかった。今まで大陸を蹂躙してきた帝国陸軍が防衛戦闘をせねばならぬなど考えるだけで参ってしまいそうだった。
 しかし、方面軍の指揮官として最善を尽くす他になかったのである。今持てる全戦力を振り向け、戦線を押し戻し、再び攻勢に出るチャンスを作ること、その可能性が1%でもある限り彼は諦めないつもりであった。
「……すまない。私としたことが、声を荒げてしまった。こんなことをしている時間はなかったな」
「はい。しかし、心中はお察しします。小官は元帥ほどの腕も運もありませんが、もし私が元帥の立場なら同じように苛立っていたことでしょう」
 部下の言葉で完全に我に返ったルードディッヒ元帥は、自分を恥じた。これでは、部下に示しがつかないと。そして、深く深呼吸をすると口を開いた。
「敵海軍は、海軍と空軍のレシプロ機だけで事足りるだろう。明日からは、陸軍の支援にジェット機を優先して使うよう要請しろ」
「了解しました」
「陸軍には出来うる限り空軍の支援が受けられる状態でのみ攻勢に出ろと……」
 そこまで話したとき、部屋がノックされた。
「誰だ」
「お忙しい中申し訳ありません。コーヒーをお持ちしました」
 扉の向こうからは、女性の小さな透き通った声でそれでいてよく聞こえる声が発せられた。
「入れ。ちょうどほしいと思ったところだったんだ。ありがとう」
 失礼します、と一言言うとスーツに身を包んだ女性が一人入ってきた。
「ルートディッヒ元帥、少しお休みになられてはいかがでしょう」
「いや、大丈夫だアリーヌ。君こそ休んだほうが良い、事務仕事で疲れているだろう」
 トレイでカップとポットを持ってくると、アリーヌはその場でコーヒーを注いでルートディッヒ元帥の手元に置いた。次いで、一緒に部屋にいた彼の部下たちにも湯気が立つ暖かいコーヒーを振舞った。
「それでは、後で休みます。指揮官が倒れたとあっては指揮にも影響しますよ。あなたもしっかりお休みになってくださいね」
 アリーヌは、他の誰にも見えないようにウィンクを飛ばした。ルートディッヒ元帥は、普段の様子からは想像できないくらい顔を真っ赤にしたが、それも少し間のことですぐに普段に戻り、言った。
「私も一息着いたら休むよ。忠告ありがとう」
「では、失礼します」
 そう言うと、アリーヌは部屋を出て行った。
「ゴホンッ。それでだ、陸上の補給線が回復する可能性が低いことなのだが海上はどうだ?」
「はい、海上輸送線のほうは情勢が我々に有利に働いているということで特に支障は出ていません」
「では、海上からの補給を増やせないか問い合わせてくれ。空軍にも輸送船の護衛を増やすように要請してくれ」
「了解しました。他に今言っておきたいことはあるでしょうか」
 ルートディッヒ元帥は、顔を下に向けてしばらくの間思案して言った。
「ないわけではないが、情報が多すぎて頭の仲がパンクしそうだよ。考えがまとまったら呼ぶから今は下がって良いよ」
「では、失礼いたします」
 部下も出て行って独りになると、深くため息を吐き、椅子に全身を預けるとそっと目を瞑った。


☆


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 1944年7月11日 0600 空母翔鶴

 室内にあるラジオからは、セレバンテスの電波ジャック放送が繰り返し流されていた。
 内容は次のようなものであった。
『敵艦隊は、壊滅的打撃を受け、我が新兵器の前に、敵は逃げ惑うことしかできなかったのであります。
 霧城連邦とルヴィアゼリッタは我々が警告したにもかかわらず、我が聖なる大陸にその魔の手を伸ばしています。我々は、戦略的再配置を続け、ついに敵部隊に大打撃を与えうる絶好の機会を得たのです。
 だからこそセレバンテス帝国は、これをなんとしても撃滅せねばならないのです。戦場でたとえ幾万の血が流れようと我々は怖気ついてはいけません。我ら優秀なる民族が真の力を発揮すれば下等なる敵など一ひねりにすることができましょう。
 最前線で戦う戦友たちをみんなで応援しようではありませんか。
 敵に死を我らに勝利を!!』
 これらの台詞がセレバンテス帝国の国歌を背景に永遠と流されていたのであった。
「くそっ、何で」
「ごめんなさい。私がもっとしっかりしていれば二人は……」
 イシュタルは、手の甲が痣になるほど何回もテーブルをたたき続けていた。その音にびくびくと震えながら小さな声で言った。
「いや、私だってあのとき突っ込んでいれば助けられたかもしれない。でも、体が言うことを聞かなかったのよ。だけど、行かなくて良かったとも思う」
「えっ?」
 イシュタルが突然黙り、レベッカの方を向いたのでびくっと体を震わせて言った。
「二人の仲間を失ったことはとても悲しい。だけど、それでも、レベッカを失うことだけは嫌…なの」
「イシュタル中尉、ちょっと……なんでもないですぅ」
 私物が入っている引き出しの取っ手に手をかけて何かを取り出そうとして手を引っ込めた。
「うん? レベッカ、今何出そうとしたの?」
「ううん、気にしなくて良いよ。こんなときじゃもらいづらいよね。もう少し時間が経ってからにするよ」
 レベッカはそう言ったが、気にするなといわれると気になるものである。それに、イシュタルは今は違うことを考えて気分を落ち着かせたかった。
「別に隠さなくたっていいよ。聴いてやるから言ってみな」
「うん……」
 レベッカは、引き出しの中から何かを取り出そうとして何度か躊躇しながら包装紙で包まれてピンク色のリボンが巻かれた物を取り出して後ろ手で持った。イシュタルは、その様子をそっと眺めていた。
「え、えと、あのね。今日って何の日かわかる? そのために用意したものがあるんだ」
 レベッカは、イシュタルの顔を上目遣いにちらっちらっと視線を盛んに動かしながら返答を待った。
「うーん、そうねぇ……」
 イシュタルは、頬杖をついて10秒ほど考えをめぐらすと、にっと唇の端を少し上げて言った。
「そうね、今日は、あの艦が進水した日? あー、違う違う、あの女優さんの誕生日もそうだったなぁ。あ、違うかそれなら……」
 なかなか思ったとおりの返答が返ってこないのに業を煮やしたレベッカは、イシュタルの言葉を途中で切って本題に入った。
「もう、こんなときまで私のことをいじめないでくださいよぉ。イシュタル中尉、本当に気づいていないわけじゃありませんよね??」
 レベッカがそういうと、イシュタルはごめんごめんと微笑を浮かべながら謝り続きを話し出した。
「そうねぇ、今日は私の誕生日ね。もしかして、もしかしなくても私に誕生日プレゼントを用意してくれたの? わぁ、ありがとう〜、なにかしらぁ」
 レベッカの返答を待つより先にその手にちょこんと載っている色取り取りの鮮やかな包装紙に包まれた箱を手に取ると、早々に包装紙を剥がそうとした。
 いつもならあっけに取られて見守ることになるレベッカであったが、このときはイシュタルの手に渡った箱を取り戻すと、テーブルに置いた。
「えぇ〜、まだ開けさせてくれないのぉ?」
「ちょっと待ってください。こういうのには、順番がちゃんとあるんです!!」
「はいはい」
 面倒くさそうな返事をして、再び頬杖を付いて真っ直ぐレベッカの目を見つめ柔和な表情を見せるイシュタルは、外見だけを見れば可愛らしく思うかもしれないが。彼女を良く知っているものはそうは思わないであろう。
 瞳の奥には、どうやって相手をいじめようかという考えがあった。
 そのイシュタルに見つめられながらレベッカは意を決してに話し始める。
「……こういうときに渡すのはちょっと間が悪いかもしれないけれど、今日がイシュタル中尉の誕生日だったからプレゼントを用意したの。開けてみてくださいっ」
 両手で小箱を差し出すと、イシュタルも両手で器を作ってそこに置くように前へ差し出した。レベッカは一瞬戸惑いながらちょこんとイシュタルの手のひらに小箱を乗せた。
 イシュタルは、丁寧にリボンを解くと包装紙を慎重に破れないように剥がしてプレゼントの入った木箱を取り出した。
「ずいぶんと凝ってるわねぇ」
「だって、特別なプレゼントなんですから。でも、あんまり期待しないでくださいね……?」
 イシュタルが木箱のふたを開けて中を覗くと、小さなぬいぐるみが入っていた。
「おぉ、こりゃぁ可愛い」
 小箱からぬいぐるみを取り出して目のそばまで近づけて見つめてイシュタルが言った。
「レベッカ、やっぱりわかってるわねぇ〜」
 言葉にならない声を上げながらぬいぐるみを胸で優しく包み込むように抱きしめるイシュタル。
 そして、どこか遠くを見つめるような目をしてぬいぐるみを見つめる。
「う〜ぅ、かわいいぃ〜」
 ぬいぐるみを抱きしめて喜んでいる姿は、まるでねこじゃらしで喉をくすぐられた猫に様であった。普段は、鋭い目をして何をしようか伺っている目が今は綺麗な半月型をして口元を緩め、ぬいぐるみとたわむれていた。
 イシュタルはその普段の性格に似合わず…(それを面と向かっていったらグーが飛んでくるかもしれないが)意外にぬいぐるみが大好きなのであった。
「ありがとう、レベッカのおかげで気持ちが落ち着いたわ」
「うん、私もイシュタル中尉が喜んでくれてすっごいうれしいですぅ」
 レベッカはさりげなくイシュタル中尉の隣に移動すると身を寄せた。
「なぁに? 嫉妬した?」
 笑顔で問いかけてくるイシュタルに、レベッカもまた笑顔でうなずく。イシュタルは、ぬいぐるみをテーブルにおいてレベッカのほうを向いた。
「しょうがないわねぇ。レベッカもわたしにプレゼントしてくれないかしら」
 そう言われて顔を赤面させるレベッカを見てさらに気を良くしたイシュタルは、強くレベッカを抱きしめる。
「もぅ……、冗談言わないでくださいぃ」
「あらあら、私は本気よ?? だってこんなに可愛いんだもの。だから、レベッカはかけがいのない戦友よ。そして、一人の女の子としても好きよ」
「女の『子』なんですねぇ。やっぱり、私じゃまだ一人前には認められてないんだ…
 女の子と言うと、レベッカは下を向いてぶつぶつ呟いた。そんなレベッカをイシュタルは頭をなでて慰める。
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだよ。レベッカは可愛いから好きだから……」
 イシュタルが顔を朱に染めて、レベッカも両手で顔を隠して下のほうを向いてしばしそのままにしていた。
 それを破ったのは、突然部屋の入り口から放たれた声であった。
「あー、百合百合だー」
 二人が同時に振り向くと、そこに立っていたのはレイカであった。
「おい、ノックしてから入れと言ってるだろう! それに、話を聞いてただろう」
「うん、そだよ?」
 いとも簡単に認めるレイカに食って掛かりそうになるイシュタルをレベッカが引き止めるという構図が出来上がる。
「お、おまえー、今回ばかりは許さないぞ。それに、なんだ百合って」
 こぶしを握り締めて額に青筋を立てて睨みつけるイシュタルに全く意に介した様子がないレイカは話を続けた。
「うんうん、百合百合〜。百合って言うのはですねぇガールズラブってことなの〜」
「だーかーらー、なんだそのガールズラブって言うのは。なんとなくイメージは伝わってくるけれど、どこでそんな言葉を覚えたんだ」
「良くぞ聞いてくれた!!」
 妙にオーバーなリアクションをすると、するっと背中で組んでいた手に持っていた冊子を差し出す。
「これこれ。これ百合」
 表紙に女の子の絵が描かれていたが、深くは考えずにイシュタルは冊子を受け取って中を開いた。
 レイカが前から見つめ、レベッカが横からイシュタルの様子をうかがっていると、頭から湯気でも立ち昇りそうに急激にイシュタルの顔が赤くになって冊子をレベッカに無理やり渡して足早にベッドに向かってしまった。
 レベッカも冊子を見るなり顔が赤くなった。
「こ、こ、これは、な、何なんですか!」
「うーん、同人誌? なんかこの前、近藤さんの知り合いって言う方にもらったの。それにしても、レベッカは予想通りとして、イシュタル中尉も意外と初心(うぶ)なんですね」
「う、うるさい!!」
 ベッドと外を隔てるカーテンをちょこっとだけ開けて顔をひょこっと出すと、それだけ言ってまた閉めてしまった。
「でも、元気で何よりです。大丈夫かなって心配しちゃいました」
「レイカのほうこそ大丈夫なの?」
「う、うん、大丈夫!! 私は元気だけが取り柄だもん」
 再びひょっこり顔だけ出したイシュタルにレイカが笑顔で言った。だが、イシュタルとレベッカはわかった。全く大丈夫なわけがないということを。良く見てみると体が小刻みに震えていて笑顔だってひきつっていたからであった。
 それに気づいた二人であったが、気づかない振りをして話を続けた。
「ありがとう、心配してくれて。私たちは大丈夫」
 レベッカも何泊か間を置いて慌てて頷いた。
「じゃ、じゃあ、またね!」
 それだけ言うと、レイカは踵を返して帰っていってしまった。
「あ、どうしましょぅ〜。これ、返すの忘れてしまいました」
「まぁ、それは後で返せば大丈夫でしょう。それよりも強いな、レイカは。私には人を励ますほど余裕はないよ……」
「私もです……」
 頷くレベッカの掌には、レイカの忘れていった本だけが残されていた。

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